本屋好きの日常

BOOKSHOP LOVER=本屋好きの日記

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SUNDAY ISSUE

SUNDAY BOOKS (336x450)


SUNDAY ISSUE


渋谷にある複合施設。説明をサイトから転載します。

「SUNDAY ISSUE」は、ギャラリースペース、ブックコーナー、ラウンジバーと、
3つの要素を併せ持った複合的な空間です。
企画展の運営を行いながら、才能ある作家の制作発表の場として、
また、主体的に生きようとする人々が共鳴し合う「コミュニティの場」として
新しい在り方を目指します。


ブックコーナーが気になります。2012.10.13 (土),14(日)にmount zineでオープニングパーティ「SUNDAY BOOKS」(上記写真のフライヤー参照)があるみたい。パーティはとにかく覚えておこう。

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  1. 2012/09/30(日) 09:00:00|
  2. 気になる
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WORLD INDIE PHOTOBOOK ZINE COLLECTION 2012 2012.11.17~2012.12.2

WORLD INDIE PHOTOBOOK  ZINE COLLECTION (336x450)


WORLD INDIE PHOTOBOOK & ZINE COLLECTION 2012


TANTO TEMPOという神戸のギャラリーで開かれる展覧会。神戸なので僕は行けないのですが、世界のインディー写真集展と言われて気にならないと言ったらウソでしょう!
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  1. 2012/09/29(土) 09:00:00|
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mieru record(ミエルレコード)

IMG_2048 (600x448)


mieru record(ミエルレコード)


「聴く本」と「読む音楽」というフレーズに惚れて冊子を持ち帰りました。冊子によると
ミエルレコードとは音楽とマンガの融合によって新しい価値観を生み出す、「聴く本」と「読む音楽」のレーベルです。(以下略)

漫画との融合なのですね。レーベルということで6名の作家が在籍しているようです。まだまだ増えるのでしょうか。地味に気になります。
展覧会を10月からやるみたいですよ。

ミエルレコード展
2012.10.5(金)~2012.11.9(金) 10:00~18:00
鵜の木クリエイターズギャラリー
  1. 2012/09/28(金) 08:00:00|
  2. 日記
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2012.10.22~「カコウイチ」2012.10.26 9:00~19:00  平和紙業㈱東京本店 ペーパーボイス東京

カコウイチ (336x450)


カコウイチ


「印刷加工連」が紙の加工を実践して見せる展覧会。印刷会社って縁遠いところなのですで、こういう展覧会はとても気になります。

2012.10.22~2012.10.26 9:00~19:00 
平和紙業㈱東京本店 ペーパーボイス東京
  1. 2012/09/27(木) 08:00:00|
  2. 気になる
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働くキュレーターLAB 第一回「インタビューの達人にインタビューする ~すべては出会いとおしゃべりから~」

マイク写真




随分と遅くなりましたが、8/29の「働くキュレーターLAB」講義をまとめました。内容が濃いし他のことを優先させていたらこんな羽目に…。
あえて1ヶ月経った頃に挙げることでリマインダーになれたらなーみたいな?…すいませんウソです(苦笑)

それでは以下です。どうぞー。

***

後藤茂雄が語るインタビューとは



①後藤繁雄のインタビュー史


20歳から38年間編集の仕事をしてきた。でも、これは独学。志を高くして学んできた。

②インタビューの心構え


・インタビューとはポストモダン時代における高級なサービス業
・インタビュアーとはスパイであり、卑しい職業
・情報を一方的に奪う訳だから、それ相応の対応が必要
・気持ち良く話してもらうための準備や会い方、連絡の取り方、姿勢(謙虚さやモラル)
・何より高い志が必要
・インタビュアーは既に書かれたもの話されたもの以外を聞かなければならない
・情報を奪うだけではなく、その出会いを次の仕事につなげることも大事
・会ってることそのものを事件として楽しめるか
・自分をその事件の登場人物として自分を使って面白くできるか
・今日会ったらもう二度と会えないと思え!
・インタビューは二人で目的を探す旅である。一期一会。どうせならゴージャスに行こう!

③インタビューのハウツー


・海外から来た人には印象に残すために最初か最後に聞く
・サインをしてもらったり何かしら印象に残るようなことをすること
・付箋を貼り付けた著書を机の上に置いておく→本の内容は知っているとアピール→本に書かれていないことを話してもらえる
・「次の日に来い」とアポを取ったら早朝に訪ねていく→好印象
・インタビューシナリオを作っていく
・その中にいかに相手が好きかを説明する「告白タイム」を入れる
・質問はだいたい6つくらい用意。番号付けしておいて、本番では柔軟に入れ替えていく
・インタビュー中はメモを見ない(取るのはアリ)
・インタビュー中は相手のことを一番好きな体にしておく
・体が自動的に動いてくれるので遠くから状況を見ることができる
・対応は体、観察は頭、記録はテープレコーダー
・腕時計をしない→インタビュー時間は体に覚えこませる
・話すリズムを相手に合わせる
・ディテールにこだわるべし!
・話しているときの違和感はネタになる
・事前の調査で分かっていても相手の言葉で言わせること
・言葉の反復や内容をキーワード化して返すこと
・NGワードや求められている言葉を観察から導き出せ
・はじめに段取りを説明するのもあり

④編集のこれまでとこれから


・昔は完全な黒子業だった
・イデオロギーの時代→編集の時代
・モダン→ポストモダン
・確固たる自分→状況によって変わる自分
・体系だった世界→フラットな世界、組合せの世界(思想のDJ)
・良いものを作れば売れる信念の時代があった(モダン)
・タイミングと状況で打つ手や思想を変える(ポストモダン)
・編集1.0→紙本の時代。80年代の終わりまで。返本率40%を超えたあたりまで。
・編集2.0→組合せの時代。コミュニティ。ブログ+イベントなど。
・編集3.0→価値をいかにして生み出すか。価値を生み出すプラットフォームの時代。

後藤茂雄が語る編集の今までとこれから



⑤これからの後藤繁雄


・編集3.0的なことを事例を作りながら作っていく。
・若手アーティストのキュレーションだったり、オルタナティブを資本主義にいかに導入するかだったり。
・これからは知性を持ち編集的スキルを持ったスーパーブロガーが求められる。プロデューサーであると同時にプ・レイヤーでもあるような30代くらい?の柔軟な人物。自分はそんな人を育てる立場になる。

⑥面白い自分であること


・編集者は世界を面白がるべき
・SNSは、それを利用してどんなことができるかを試す場
・実験動物としての自分
・世界をいかに面白がるか
・面白い人間になるには面白いことを言えば良い。そのためには身体知を鍛えて柔軟な動物のようになれば良い。

⑦ウェブメディアのコツ


・フラットな情報ではダメで特異点が必要。キラーコンテンツ。
・単体ブロガーを雇うよりブロガー軍団を作った方が効率的
・キーワードは健全な宗教化。多神教的な価値観。信者はいるが原理主義的コアなファンではなくゆるいつながり・社会的なミッションとステートメント。それとグッズのようなモノがあると良い。

***

以上です。如何でしたでしょうか?
全体としては大きく以下の二部に分けられそうですね。

①インタビューとは
②今までの編集・これからの編集


僕としては「インタビューとはポストモダン時代における高級なサービス業」「インタビュアーとはスパイであり、卑しい職業」というフレーズが面白かったですね。他にも参考になることばかりでしたが、この二つのキーワードが他の言葉の下敷きにあるような気がしたのです。
編集についての話は後藤繁雄さんの今とこれからが関わっている内容でしたのでエキサイティングでした。いろいろオフレコな話もありつつ、自分でサイトを開くんだったらというそれこそ講座的内容もありつつ。
会社が忙しくて参加できずDVD視聴でしたが本当に濃いー3時間でした。

参加したかったぜえ。
  1. 2012/09/26(水) 07:30:00|
  2. トークショー
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「尖っている」ということ。

本と私の世界

昨日、essereさんと飲んで、企画のトークショーの企画の話をしていた。

生協のトークショーで集客するにはどうしたらいいか。でも、あくまで利益目的ではなくて「学生のため」という趣旨で。云々。

僕はメインの客層が学生だとしたら尖ったことをやればいいのでは?学生さんならそれで「面白い」と思って来てくれると思う(というか、僕なら行くってことだけと 笑)と曖昧な答えをしてしまったのだけれど、この「尖ったこと」って何だろう?

尖っているって良く表現とか生き方とかに対して言うことがあるけれど、どういうことだろう。多分、尖っているって「他の人にとって何か気持ち悪いこと」なのかもしれないと僕は考えた。

今までにないこと。もしかしたら受け入れられないかもしれないこと。思わず拒否してしまうようなこと。もしくは、「誰かを傷付けるかもしれないこと」だとも考えた。もしかしたら誰かに迷惑をかけてしまうかもしれないこと。敵を作ってしまうかもしれないこと。「丸く納める」って表現があるけれど、これは誰にも迷惑をかけない。角が立たないこと。という意味として使われると思う。「尖ったこと」っていうのは、だからこの真逆なのだと思うのだ。

「今までにないこと。もしかしたら受け入れられないかもしれないこと。」だから、「もしかしたら誰かに迷惑をかけてしまうかもしれないし、敵を作ってしまうかもしれない。」もちろん誰か確実に迷惑がかかる人には事前に断りを入れることはすべきだろう。最大限、迷惑をかけないようにする努力は必要だ。

ただ、それで「やれない」ということになりそうだったら断りを入れないことだってあり得るし、「迷惑をかけない」に力を入れすぎて、できなくなったら意味がない。世の中には「新しいこと」自体に疑惑の目を向ける人だっているし、誰にも迷惑をかけないでやるなんて無理だと思う。

それでも、やる。やりたいと思ったことをやる。

それが「尖ったこと」であり、きっと学生さん(あと僕)は、「そういうリスクをとってでもそれをやりたい」って気持ちに反応するのだと思った。
  1. 2012/09/25(火) 21:36:29|
  2. 書いた
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組織が嫌い。

最近、一緒にお酒を飲んだ人にはよくこう言っています。語弊があるので、どういうことかと説明しますと、どうも僕は「組織(特に大組織)」というものを信用できないものじゃないかと思ってしまっているのです。

組織ってやつはとても便利なものです。一人ではできないことも人数が集まればできる。さらに分業してやれば、効率的に結果を出すことができる。組織の力は本当に凄いです。

株式会社を日本で始めて作ったのが坂本龍馬だというのは有名な話ですが、社会に対して自分のやりたいことを説明してお金と労働力で応援してもらうってやり方は大発明だと思います。人間、集中してやった方が成果を出すってのはありますよね。大会社の社長が経理業務なんてしているヒマはないのです。役割分担。当たり前ですが物事をうまく運ぶためにとても重要なことです。

ところで、人間ってどれくらいの人数までなら組織としてうまくいくと思いますか?誰の理論か覚えていませんが、最大でも150人までなんだそうです。そこから、50人→15人→5人と関わりが深くなっていくそうです。

今、読んでいる「ナガオカケンメイの考え」という本の中でもありますが、基本的に組織というものは社会に対して設立者≒社長が実現したいことを実現するために存在します。だから、「組織で自己実現」という言葉は、そもそもの始めから破綻しています。もしあるとしたら、設立者≒社長の意思と自分の意思が限りなく近い場合です。 そういう人が社員だった場合、その人は評価されますし、社員にとっても良い会社と思えるでしょう。

組織はある程度の規模になってくると、「設立者の意思を通す」という目的だけのために存在するということはできなくなって来ます。150人を超えて、生活のために仕事をする人。割が良いからその仕事をしている人。別に組織の目的を達成することが社員の目的である必要はなくなり、結果として、「組織を維持すること」が目的の一つになってしまいます。

「社員が路頭に迷うから」「これをやるとあの人が困るから」

しかも、管理者もそうやって優しいことを言ったりするのでしょう。誰だって悲しい顔は見たくありません。でも、そうやっていくと組織が自己目的化して、もともと達成したかったはずの設立者の意思はどこかにいってしまいます。そうやって色んな調整に明け暮れた挙句、何も特色のない会社が生まれるのではないかと思うのです。

目的を達成するためには余計なものを捨てるという局面もあるでしょうし、誰かの意見を拒否しなければいけないことだってあるはずです。たとえ相手が今まで頑張ってくれた人でもそれは同じです。同じはずです。

別にそれが悪いとは思いません。誰しもが目的のために頑張れるわけではありませんし、生活は大事です。世話になった人に不義理はしたくありません。僕が組織が嫌いな理由はこれまで書いたことの中で二つあります。

組織が「設立者の意思を通すためのものであること」と「組織が大きくなると自己目的化してしまうこと」です。

まず、組織は「設立者の意思を通すためのもの」です。ですが、誰か知らない人の意思を通すために自分の時間を使うというのはなかなか納得するのが難しい。誰かが作ったシステムを回すのは大事なことですが、それを気に食うか食わないかは別の話です。そして、その気に食う食わないは会社の外からでは分からない。入ってしまってから後悔しても遅い。それを合わせていくのが大人なのかもしれませんが、どうもそれはウソ臭く僕には映ります。

「気に食わないなら変えればいいじゃないか」。優秀な人が言いそうな台詞ですね。組織を変えて、それでどうなるのですか。そのシステムは「設立者の意思を通す」という大前提のために作られたものです。この大前提は会社が無くならない限り変わりません。だって、そもそもそのために作られたものなのですから(念のため書いておきますが、今の会社のシステムを気に食わないと言っているわけではありません。我ながら悪くない環境で働かせて貰っていると感謝するくらいです。)

それでも。納得はしないでも将来は不安です。将来と今とを考えて、生活のために今の居場所に僕はいます。「組織が大きくなると自己目的化してしまうこと」。これも仕方ないことです。なんたってこういう事情があるからこそ、僕のような人間でも今の仕事をしていられるのですから。

ですが、僕は本来は仕事というものは、「自分がしたいことをどうやってしていくか」に尽きるのではないかと思っています。その「したいことを組織の目的と合わせて行けばいいじゃないか」と言われそうですが、できる人はしたら良いと思います。絶対にそっちの方が良い

けれど、合わせることができない人もいると思います。表には出さないけれども、仕事はちゃんとするけれども別にしたいことじゃない人なんてたくさんいると思います。では、そういう人が自分がしたいことでどうやって日々の糧を得ることができるようになるか。

それを見つけるのはすごく難しいです。そもそも「したいこと」って何なのか?あったとして、それで社会に価値を与え対価を貰うことができるのか。入ってしまった組織でいかにしてそれを見つけて育てるか。そもそも育てることなんてできるのか。

日々の生活のために僕は今の仕事をしています。そのスタンスは今のところ変わらない。だからと言って、仕事をテキトーにするわけではありません。任された仕事は責任を持ってやります。今の上司は尊敬する面もありますし、感謝することもあります。貢献できる範囲でならしたいと思っています。だから、自分が「仕事がデキる」だなんてとても言えませんが、それでもしっかりやっています。やっているつもりです。

今。僕は「面白そうだ」と感じたことにはとりあえず首を突っ込むようにしています。それが自分の納得できる方向につながると信じて。何となくその方向が分かりかけてきたところです。このブログを始めたときはもっと曖昧でしたが、その頃よりかは具体的になって来ました。出来るなら、自分の意思を通すための仕事ができるようになれるように。「これやれたら、面白いじゃん」を形にできる人になれるように。もっと足と手を動かしていきたいと思うのです。

少々、感傷的に書いた今の気持ちでした。…こんなこと書いて大丈夫かしら 苦笑

ちなみに組織のすべてが嫌いという訳ではありませんし、否定しているわけでもありません。今、その組織が存在しているとうことは何らかの意味があるとは思います。というか、僕のこの文章もロジックとして破綻している部分なんていっぱいあると思います。だから、何が言いたいかというと、僕は根本的に組織(特に大組織)に対して拒否感がある人間なのかもしれないなということなのです。

愚にもつかない思い込みに基づいたロジック。でも、それが価値観ってやつなんじゃないのかな―。こういうことは本来、大学生のうちに気づかないといけないことだと思います。いや、嘘です。気付いてました。ハッキリと。

でも、あのときは生活や家族とか彼女とかの今後を考えると、就職しなければいけないと思っていた。だから、無理やり頑張りました。今考えてもかなり無理していたと思います。そして、運良く給料は少ないながらも安定した生活を送れています。ところが、3年間勤めてあらためて最近思い知っているので、書かなければいけないと思ったのです。
  1. 2012/09/25(火) 21:36:02|
  2. 書いた
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2011年の漢字が「絆」ってどうなのさ 

SPBS作家・ライター養成講座のコーナーです。目的は文章の説得力と読ませる力をつけること。感想・批判・賛同・反対などなどコメント頂けると嬉しいのです。講座の条件は以下の通り。

今回は1月の第1回分です。テーマは具体的テーマ「2011年」か抽象的テーマ「すっきり」。僕は「2011年」を選びました。
以下、本文です。どぞ~。

***

タイトル「 2011年の漢字が「絆」ってどうなのさ 」


2011年は人と人との「繋がり」が注目された年だと思う。東日本大震災、アラブの春などインターネットの力を借りて「繋がり」の力が示された年だった。

そんな中、日本漢字能力検定協会が2011年の漢字は「絆」と発表した。なぜ「繋」ではないのかという疑問もあるが、それ以上に僕はこの言葉に気持ち悪さを感じる。「絆」は「断つことのできない人と人との結びつき」を意味するが、僕には特にポジティブな免田を毛を強調する言葉のように思えるからだ。

物事には必ず表と裏がある。「絆」が人と人との繋がりのポジティブな面を表すとしたら、ネガティブな面を表すのは「しがらみ」だ。何せ絆というほどの深い繋がりである。例えば家族だ。家族のために頑張ることも出来るが、逆にあきらめなければいけないことも多いだろう。一般的に言って突然一人旅に出てみたり会社を辞めたりすることは妻子持ちでは難しい。それでも、家族ならまだ良いほうだ。これが会社や地域に広がっていくとさらに絆=しがらみも増える。そのマイナス面を無視して絆と言い切るその無神経さが僕には気持ち悪いのだ。

家族も地域も助け合いで成り立っている。それは素晴らしい。しかし、あくまでもひとりひとりを助けるための装置である。個人のための家族や地域であってその逆ではない。個人が自由に快適にやっていくために存在しているはずのものが、いつのまにか個人の自由を、快適さを制限してしまう。手段が目的化してしまうことに僕は気持ち悪さを感じるのだ。

東日本大震災では多くの人々が被害にあった。大変な苦境に立たされた人も多いことだろう。そんなときはいつもうざったかった家族や地域の人たちがやけに温かく感じるものだ。さらに支援が多くの国や会社、若者たちから届けられた。コミュニティや地域が見直されるようになってきた。そういう状況を見て直接の被災者ではなくても人との繋がりに温かみを感じた人は多くいたのだろう。2011年の漢字が「絆」というのも頷けるというものだ。

しかしそれでも、僕は言いたい。それは物事の一面でしかないと。人との繋がりには悪い面もあるのだということを。東日本大震災でも血縁地縁のしがらみにより放射能の恐怖から逃れられなかった人がいたはずである。だから、僕は2011年の漢字は「繋」だと言いたいのだ。その方が2011年をクリアに表していると思うのだ。

***

如何でしたでしょうか。

2011年の漢字に対する違和感について書いてみました。「誰かの為に」とか「何かの為に」って言葉を安易に使うのには賛成できないのですよね。これについてはまた後日、書こうと思っていますがメリットばかりが強調されて、デメリットが意識されていないように感じるのです。使い方によっては危険な考え方なのに。

それはさておき、以下、講師からの評価です。

評価点:

指摘点

うーん、今までのを考えても僕の陥りやすい罠として骨組みが良くても肉付けがイマイチというのが挙げられそうですね。主張は分かるのだが、説得力が弱いという。具体例についてはもっと考えたほう良いかもしれません。

文章力向上のためにもご意見・感想、批判、指摘なんでも良いのでコメント待ってます!それでは~。
  1. 2012/09/25(火) 21:34:57|
  2. SPBS作家・ライター養成講座の記録
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「「当事者」の時代」に関する覚書

「当事者」の時代 (光文社新書)「「当事者」の時代」に関して思いついたことがあったので、覚書として頭の中ダダ漏れツイートをしました。その記録です。



***

「「当事者」の時代」についてちょっと考えたことがあったので、その流れを記録の為にツイートします。 (注)結論は出ていません。

  1. 「「当事者」の時代」の「当事者」というのは、もしかして「社会や現実に直接立ち向かわないといけなくなった状況の人」を指すのかもしれない。

  2. 「「当事者」の時代」で例として挙げられる「当事者」は、親族が事件の被害者になった人と東日本大震災の被災者だ。どちらも社会的な事件であり、例外的状況である(震災が本当に例外的かどうかは長くなりそうなのであえて述べません。)。

  3. ということは、その「当事者」は、中間共同体の成員の価値観と通常より多く外れるだろう。当事者のことを当事者以外が分かるのは難しい。共感しあえなくなる。そういう意味で、社会や現実と個人として立ち向かわないといけなくなる。仲間など集団をクッションに出来ない。

  4. 確か佐々木俊尚さんは日本における中間共同体をかつては「ムラ」。少し前は「会社ムラ」として挙げていたはず。このムラでは掟や空気を読まないものは排除される。当事者が空気を読むことが可能だろうか。

  5. もちろん可能だろうけど、ムラの成員との価値観が当事者的体験以前とは違っているはずで、そうなると空気を読むことが難しくなるのではないだろうか。

  6. あれ、でもそうすると被災者はそれに当てはまらない気がするな。当事者がたくさんいるから、仲間ができるし。共感だって出来る人が多いはず。

  7. 「当事者」の絶望的な例と希望を持てる例。二つを分ける差は何なんだろう。「当事者の数=共感できる人の数」なのかな。当事者の周囲で「自分に関係あることだと思う人の数」なのかな。

  8. うーん、まとまらない。そんな徒然書きでございました。


***

本当にまとまってませんねえ。勉強不足もあるのでしょうが、感想を書くまでには勉強不足なりの一応の結論を出したいと思います。







「当事者」の時代 (光文社新書)「当事者」の時代 (光文社新書)
佐々木 俊尚
光文社 2012-03-16
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  1. 2012/09/25(火) 21:34:09|
  2. 書いた
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美肌と蚊とリアリティ

SPBS文章通信講座のコーナーです。目的は文章の説得力と読ませる力をつけること。感想・批判・賛同・反対などなどコメント頂けると嬉しいのです。講座の条件は以下の通り。

今回は2月の第1回分です。テーマは具体的テーマ「地方」か抽象的テーマ「なめらか」。僕は「なめらか」を選びました。東京生まれ東京育ちの自分に語れる「地方」はないかと思いまして。以下、本文です。どぞ~。

***

タイトル「 美肌と蚊とリアリティ 」


滑らか過ぎる肌が苦手だ。どうも人工的で冷たい気がするからなのだが、ザラザラしてたりデコボコしているのはもっと嫌だったりする。不健康や怠惰を思いこさせてしまうのだ。本当にキレイなのは滑らかな肌にちょっとしたキズやデキモノがあるときだろう。そこにキレイなだけじゃ片付けられない人間本来の生々しさを感じる。

先日、通勤電車内で美人とでも言えるようなキレイな女性が座っていた。整った顔立ち。完璧な化粧と服装。髪型だって完璧だ。他の男性客は目を合わせないようにしながらも彼女を意識していることが分かる。ところが、なぜか僕は彼女に惹かれることができなかった。なんだか作り物のような気がしたのだ。

電車が揺れて彼女の足がよろけた。そのせいで彼女は僕の体にもたれかかる形になってしまう。

「すいません。」

彼女は気恥ずかしそうに態勢を整えた。その時彼女の首筋に蚊に咬まれた跡が見えたのだが、それだけでドキドキしてしまった。それまで考えられないほどのドキドキ。傍から見たら赤面していたはずだ。

なぜだろう。考えてみるときっと彼女が僕にとって生きた人間になったということだと思う。作られた顔や髪型、服装。それらは確かにキレイだが、僕の心には迫ってこなかった。ガチガチに固めた理性の様ヨロイのように見えたのだ。そんな固そうなもの僕は苦手だ。ところが、首筋の咬まれ跡一つで彼女は僕にとって同じ生きた人間のように見えた。その綻びのようなものに人間を見たのだ。ご飯を食べて排泄してセックスして眠る。同じ人間(しかもとびきり美人!)のように見えたのだ。

世の中には自然なように見せかけて実は意図的に加工されたものが山ほどある。サンプル食品。スーパーに売られているやけに形の揃った野菜や果物。美人女優のすべすべの肌。滑らかなものとでこぼこのもの。加工物と自然。またはその中間。

加工されたものは人間が手間暇をかけて作り上げた努力の結晶である。キレイに見せたい。魅力的に見せたい。そういった気持があるから、見た目を整えて揃えて滑らかに。キレイにするのだ。だが、それの行き着く果ては本当に魅力的なのか。人間は共感できる個所があってこそリアリティを持って他者を認めることができるのだ。ガチガチに化粧したり完璧にキレイにしたものは、共感できないし案外デコボコな部分が少しあった方が魅力的に見えるのではないだろうか。少なくとも僕はそう思う。

***

如何でしたしょうか?書きながら考えた割にはうまくまとまったと思うので、自信アリでした。さて、講師の方の意見はどうでしょう。

評価点:

指摘点:

以上です。全体として今回は好評でしたね。ただ、前回の添削を踏まえて、普遍性を意識しすぎた感はあるかもしれません。どうも自分はロジックや普遍性を強く意識しすぎるキライがあるようですね。「個人的体験や嗜好をいかに説得力を持って示すか」。ここに今後の肝がありそうです。

そんなわけで、文章力向上のためにもご意見・感想、批判、指摘なんでも良いのでコメント待ってます!
  1. 2012/09/25(火) 21:33:47|
  2. SPBS作家・ライター養成講座の記録
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競争ノマドと共生ノマド

どうも最近、ノマド議論が活発だったようですね。やれ、「ノマドは一部の優秀な人しかなれない」とか「ノマドなんて言葉は流行だよ」とか「ノマドうさんくさい」とか。

何ですかねー。別に人がどう生きようが気にするなと言いつつ、「若者がノマドって言葉ににハマっていて痛々しい」みたいな論調とか「会社員がいるから成り立っているんだろ!なめんなよ!」みたいな論調とか、こーゆーのに感情的になる人って何なんだろうなと思いながら眺めていたのですが、一応僕もこれからの働き方に興味があるので、僕もちょっと考えてみることにしました。最後の方、偉そうなこと言ってますが、僕は会社員ですww 寮住まいですwww(注 基本的に、このまとめを観て感じたことを書いてます。「近頃ネットで話題の「ノマド論争」まとめ」

それぞれの意見


まず、議論を整理するためにまとめてみたいと思います。大体、意見は以下に分けられると思うのですよね。

ノマドの定義付け


で、ノマドノマドって言うけれども、まず定義が明確じゃないから言い合いになってしまっている感がありますね。まあネット上の議論なんてそんなものかもしれませんが。なので、ここではまず定義付けから入ります。

これで、かなりすっきりするんじゃないでしょうか。このブログにあるノマドワナビーという「通勤しない働き方」という憧れとも区別できますし。
極端に言ったら「憧れのノマド像」って「会社に通勤することを強制されていない人たち」でしかないんじゃないの?ノマドワナビーってそれだけな気がする。ノマドワーキングを目的にすると不幸になるのでは? - GoTheDistance より

このブログではノマドとフリーの違いについて図を用いて分かりやすく説明してくれています。
本と私の世界
フリーランス=ノマド、じゃないんです | おーぷんlog2
こっちのブログなんかだとノマドという生き方ではなくて、ノマドって言葉の使い方が嫌だというのは全く持って同意であります。
ノマド=アンチ「カイシャ」×アンチ「先人」×「ソーシャル」礼賛、って先導的に語られてしまっているのが、たぶんおかしくしてしまっている主因なんじゃねーか、と思う最近「ノマド」ってコトバが嫌いになってきたオイラは少しオッサンなんだろうか。 impresario より

そもそもなぜノマド議論が起こったのか


僕の記憶が正しければノマドワークが着目されだしたのは佐々木俊尚さんの「仕事するのにオフィスはいらない」 (光文社新書)からです。思うに、佐々木俊尚さんが言いたいのは、「会社勤め以外の選択肢の市民権を得よう」という流れだと思っていて、技術的にも世界のトレンドとしてもそれは不可避なんじゃないかと思っているってこと。

で、ノマド嫌いの人が言いたいのは、その佐々木俊尚さんなどノマドを実践している人たちに乗って稼ごうとしている「ソーシャルビジネス最高!」な人々(「便乗ノマド」と言いましょう)の言う「ノマド」に対して感じる忌避感ではないかと思います。確かに「ノマド最高!」って良い面ばかり強調する人を見ると嫌になりますね。だいたいフリーとの違いも考えていない人が多いですし、とりあえずフォローは外します。

かと言って、「ノマドはホントは怖いんだよー。皆騙されちゃいけないよー。超一流でできる人じゃないとなれるはずがないよー。」ってのも変だと思っていて、単純にノマドにしてもフリーにしても会社員と同様に長短あるので、自分の生きやすいほうを選べよってだけだと思うのですよね。

他の職と同じで合う合わないの話であって、別にノマドもフリーもそこまで特別な能力が要るってわけでもなさそうですし(もちろん成果物の質が第一ってのは当然だと思います。次も仕事頼もうって思ってもらわなきゃ続くわけないもの)。

「ノマド」に関する話も、たぶん@May_Romaさんが言ってることが冷酷な事実… - Togetter
すげえ誤解を招く言い方をすると、会社員として優れてたけどフリーランスになるぜっていう人よりは、会社員どうしても無理だって人のほうが潜在的な才能はあるかもしれないと...。@kara_dさんのフリーランス形態について一考 - Togetter  より

 

ノマドにしろ会社にしろ、「小さくはじめて大きく育てる」を忘れなければ、それこそなんだってアリだよ。食える市場かどうか? それすらどうだっていい。ノリだよノリ。ただそれだけ。「ノマド最高!」も「ノマドは完璧じゃないと無理!」も的外れ。 より

気軽にノマド


だから、まあ非定住志向のノマドにしても、非組織志向のフリーにしても「とりあえず、できそうだからやってみる」くらいの気持ちでできたら良いのだと思うのですよね。10年とか20年とか長いスパンで見たら、今みたいな会社組織が続いていないのは明白ですし、そんな将来のためにも、会社組織に頼らないでやる経験ってやつは必要だと思うのですよ(もちろん「いや今の会社は無くならねえ!」って人はその中で頑張ればよいと思いますし、その頑張りのお陰で、会社は継続して自分も出世してオッケー!ってこともありうると思います。会社の目指す市場自体がしぼんでいる場合、難しいかもしれませんが)。

それに、正社員以外の選択肢が市民権を得る。非正社員に劣等感を持ったり、特別感を持つような社会でなくなることは構成員的にハッピーだと思うのです。選択肢があったとしても差別意識や特別感があるせいで事実上、難しい選択になっていることって多いでしょうし。レールを外れてもそんなに怖くないってかレールって何?みたいな意識が社会全体で共有できれば、そちらの方が生きやすいのだと思うのです。

ノマドを特別視


まとめると、このノマド議論は、ノマドとかフリーとかを特別視しているからこそ起きる議論なのだということですね。便乗ノマドは違いますが、佐々木俊尚さんど一部のノマドの方は、そこの特別視を無くす(というか時代の流れとして不可避的に無くなっていく)ために話しているのだと思うのです。そうした方が、いざノマドが普通になったときに生きやすいんじゃね?ってことを言いたいのだと思うのです。

競争社会と共生社会


ところで、ノマドワークの端緒(言葉合ってるかな?)とも言えるので佐々木俊尚さんのことを挙げましたが、もう少し佐々木俊尚さんについて書いていきます。僕は、メルマガを読んでいるのですが、ノマドのことをいうとき、佐々木俊尚さんは今後の社会についてもセットで語っているように思えます。以下、僕なりに佐々木俊尚さんが考えている今後の社会についてまとめてみます。

これからの世界は、どんどんフラット化していく。雇用も例外ではない。単純労働やもしかしたらホワイトカラー職も、日本より賃金が安い国と比べられることになってくるだろう。そこで起こるのは、欧米でにあるような格差社会だ。webは従来なら何百人もが必要な仕事を数人で出来るようにしてしまったため、雇用を奪ってしまった。しかし、奪われ分の雇用を生むような仕事は生まれていない。生まれていたとしても、それは従来とは違う能力が必要とされる仕事である。今までと違う能力をすぐに開発出来るわけではないので、必然的に労働者はあぶれる。

その上、能力を開発できたとしても、比べられるのは自国内ではなく全世界で、もちろん賃金が安くて済む新興国の労働者たちも含まれる。そうなると、ただでさえ賃金の高い先進国の労働者は、新興国の労働者以上のものを生み出さなければいけなくなる。そんなことができる人はごく少数なので、ここでもまた必然的に労働者はあぶれてしまう。

この格差社会における上流とは、佐々木俊尚さんや津田大介さんのようにオリジナルの何を作り出せる人々であり、それ以外は、新興国並みの賃金(もちろんそれなりには高い)にならざるを得ない。前者にノマドやフリー。さらには優秀な会社員。経営者が入り、後者に現在のんきに暮らしている会社員が入るのではないか。

長くなりましたが、佐々木俊尚さんはこういった大局観の中で、ノマドの話をしているのだと思うのです。しかし、このまとめを読んだ方は、「?」と思われるはずです。「あれ?でも、これだとやっぱり超一流しかノマドになれなくね?」と。

そうです。僕もそれはその通りだと思います。

ですが、そんな「一流ノマド」ではなく、「普通ノマド」というものも僕はありうると思っています。そのキーが「共生社会」という考え方です。

僕も以下のブログで初めて知ったのですが、競争社会でバリバリやっていくノマドと単に会社とか組織に縛られない生き方としてのノマドには大きな開きがあるように感じていました。さらに、MGさんのブログなど読んでいるとこれからの新しい働き方について色々考えさせられます。

「ノマドと弱者と共生社会について考えてみる。
都市ノマド 女。MGの日記。

ちなみに、共生社会の定義はというと以下のように書いてありました。
共生社会は仲間とともに生きる社会。人と人、人と自然との合意を大事とする。他人の犠牲を代償として初めて自分の仕合わせがあるという社会ではなく、自分の仕合わせの追求、満たされた人生への努力が他人の仕合わせ、社会の豊かさにつながる社会のこと。 「月3万円ビジネス」~競争社会から共生の社会へ

 

そして、この考え方は、このブログの正社員とノマドの中間解になり得るのではないかと思うのです。たぶん世の中で求められているのは正社員とノマドのまだ言語化されていない中間解なんだろうな、と思ったノマドとかライフスタイルをテンプレで語ること自体の陳腐化と正社員とノマドの中間解 - Future Insight より

競争社会も結構です。会社員だって結構です。でも、そこからあぶれた人たちはどうすれば良いのか。会社や地縁血縁に頼らない助け合いの社会はできないのか。その答えが共生社会だと思うのです。

共生ノマド

その共生社会におけるノマド。共生ノマドと呼ぶことにしますが、この共生ノマドと競争ノマドを分けて考えることにします。

そう考えていくと、実は、優秀でもない普通の若者が憧れる「ノマド」というものはこの「共生ノマド」なのではないかと思うのです。

会社で出席できるほど優秀でもないし、フリーでやっていけるほどの自信もない。しかし、既存の会社員にはなりたくない。よく知らない上司に使われるのではなくて、主体的に働きたい。自分の好きな誰かや何かのために働きたい。自由でいたい。そう思った人たちがこの共生ノマドのようなものに憧れているのだと思うのです。

会社員という枠に捉われない(会社員が駄目ということではありません。)働き方を模索する上で、出てきた考え方だと思うのです。で、この共生社会的共生ノマド。実は、既にある程度実現できるのだと思うのですよね。それは先に挙げた@kara_dさんのフリーランス形態について一考 - Togetter「ノマド最高!」も「ノマドは完璧じゃないと無理!」も的外れ。 などを読むと分かります。

超一流とは言わなくても、戦略的に考えてスキルをつけたり人脈作ったり何かしら特技を磨けば、誰かの力になることができる。そうして対価としてお金を貰う。これってまんま共生社会のような気がします。ただ、その存在が一般化されていないだけ。特別視されてしまっているだけ。逆を言えば会社員=安定コースと安易に考えられ過ぎてしまっているだけ。

だから、ノマドを特別視でも述べたように、今、SNSが定着し雇用のフラット化が劇的に進む中でこそ、ノマドという言葉をバズらせる必要があるのだと思います。競争ノマドにせよ共生ノマドにせよ「ノマド」という働き方。生き方を定着させることには意味があるでしょう。

多様な働き方


さて、今まで、ノマドは働き方、果ては社会について考える上での思想なのだと言ってきました。それは、「超一流じゃないとなれない」とか「フリーと何が違うの?」とかいうレベルの議論ではないとありません。

会社に属するというのが大前提という今の社会に対して、ノマドやフリーの(意識における)領域を拡大しようという活動なのだと僕は思います。「ノマドやフリーが特別じゃない」ことを定着させるための活動なのだと思います。僕はそれを支持したい。働き方だって何だって、色んなやり方がアリな方が楽しいに決まってますから。まあ会社員が何言ってんだって話ですがw

独立したい身としては、そう思うのでした。


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  1. 2012/09/25(火) 21:33:25|
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「イライラ人と僕」

SPBS文章通信講座のコーナーです。目的は文章の説得力と読ませる力をつけること。感想・批判・賛同・反対などなどコメント頂けると嬉しいのです。講座の条件は以下の通り。

今回は1月の第1回分です。テーマは具体的テーマ「消費税増税」か抽象的テーマ「イライラ」。僕は「イライラ」を選びました。

今回は迷いました。消費税増税については僕は賛成ですが、それを千字でまとめきれる自信もないし、かといって「イライラ」について書きたいこともない。散々迷った挙句、イライラで書き始めたら…案外イケるものですね。まずは手を動かすことが重要だということでしょうか。以下、本文です。どぞ~。

***

タイトル「イライラ人と僕」


イライラする人が嫌いです。電車が遅れてイラッ。友人が遅れてイラッ。仕事を覚えない後輩にイラッ。そんなちょっとしたことでイライラする人が本当に僕は嫌いです。それはイライラが何も生み出さないばかりでなく人の邪魔すらするからです。

彼や彼女(イライラ人と呼ぶことにします)はそのイライラが周囲をイラつかせていることに気づかない。自分は正しい。間違っていないと思い込んで間違っている人やコトにイライラする。そのくせ自分が正しいと思っているものだから、出てくる台詞は「自分勝手だ」「人の気持ちを考えろ」。絶対的に自分が正しいことなんてあるわけないのに。そんなこと考えたこともないのか。イライラ人は自分の非を認めません。

仕事でこんなことがありました。僕は先輩に言われた通りに仕事をしていました。ところが、突如その先輩は怒りだしました。ガミガミ。ガミガミ。ヒステリックに言ってきます。「私の言っていること分かる? 」僕は答えます。「分かりません。」すると先輩は深いため息をついてそっぽを向いてしまいました。このとき、僕にはその人がその場で言っていることは理解できたのですが、以前言っていたことと合わせて考えると全く理解できません。以前は「Aしろ」と言ったのにそうしたら怒ったのです。僕は納得したふりをして相手にしないことにしました。イライラ人には何を言っても無駄だからです。

イライラは生産性を減らします。本来、集中しているときに生産性が高まりますが、イライラは集中を邪魔します。その上、他の人の集中の邪魔すらします。また、たとえ相手に非がある様に見える場合でもイライラガミガミすると相手は委縮してしまうばかりで現状の改善にはつながりません。

そう思ってはいるのですが、僕もイライラ人になってしまうことがあります。任された仕事がうまくいかないときや楽しみにデートが台無しになってしまったときです。そんなときは深呼吸してスパンを長くして考えることにしています。1週間や1ヶ月の単位で考えると自分のイライラが馬鹿馬鹿しいことに思えてくるからです。

誰の心の中にもイライラ人は住んでいると思います。子供にも大人にもおじいちゃんにもおばあちゃんにも。このイライラ人をどう飼い慣らしていくか。そして、イライラ力をいかに生産性に繋げていけるか。イライラ人全開の先輩を見て、こうはならないぞとそんなことばかり考えているのです。

***

如何でしたでしょうか。初め迷っていた割にはうまく書けたと思います。イライラはするのもされるのも大っ嫌いですからね。きっとそれが言語化されたのでしょう。また、「自分の思いが伝わるか」「言葉のリズム」「読みやすさ」「共感」をハードルとして意識して書きました。うまくいっているでしょうか。評価が楽しみですってことで、以下、講師からの指摘点です。

評価点:

指摘点:

この指摘は反省したと同時にかなり嬉しかったです。「基礎レベルを習得しているっぽいので、次の段階に進んだほうがいいのでは?」という分かりやすい指摘。自分ひとりで色々と活動していく中で、足りない部分をまさに言い当てられたという気分です。オリジナリティとリアリティ。原稿の企画化。アングルの工夫。取材の有無。勉強しないといけないことは多そうです。まずは企画の本でも読もうかなー。

文章力向上のためにもご意見・感想、批判、指摘なんでも良いのでコメント待ってます! それでは~。
  1. 2012/09/25(火) 21:31:48|
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未来って本当に知れるの?

SPBS文章通信講座のコーナーです。目的は文章の説得力と読ませる力をつけること。感想・批判・賛同・反対などなどコメント頂けると嬉しいのです。講座の条件は以下の通り。

今回は1月の第1回分です。テーマは具体的テーマ「京都議定書」か抽象的テーマ「未来」。僕は「未来」を選びました。京都議定書に関して価値のあることがいえるとは思いませんので。以下、本文です。どぞ~。

***

タイトル「 未来って本当に知れるの? 」


「未来を知りたい」という願望は誰にでもあると思う。しかし、それが叶うことはあるだろうか?
未来は本質的に不確定だ。不確定だからこそ未来だとも言える。知ることができた未来は記録に過ぎず、それは単なる予定である。

予定とは今より先における想定の範囲内で考えた行動の記録である。例えば、僕が8 時発の電車に乗り8 時半に出社できるように予定を組んだとしよう。このとき、想定どおり8 時に電車が発車すれば予定通り出社できるが、想定が外れて電車が遅延などした場合、8 時半に出社することはできない。想定どおりなら僕は未来を知っていたとおりの行動をしたことになり、電車が遅延したなら僕は未来を知っていない行動をしたことになる。だれも遅延が起きるかどうかは知らない。ということは、遅延を予知できれば未来を知っていることになる。これは他のことにも言えるので、全てを知ることができれば未来を知ることができると言える。「未来を知りたい」という願望は全てを知ることが出来れば叶うのだ。

だが、本当にそうだろうか。未来は不確定だからこそ未来なのではないだろうか。

そう思って考えてみると上の例に間違いがあることに気づく。僕の行動が抜け落ちているのだ。どういうことかと、未来を知って行動した僕はいつもより早く起きて通勤するだろう。そして、いつもと同じ8 時半に出社する。この行動は本来あるべき未来である「遅延に巻き込まれて8 時半に遅れて出社する」とは違う未来だ。これでは「予言者」ではなく単に「遅延を知ることができて運が良かった人」である。やはり、未来を知るということは不可能なのだ。

さて、未来を知りたいという考えがナンセンスであるなら、なぜ未来を知りたいと思うのだろうか。未来にはなってみないと分からないのに。僕は当事者意識がないせいだと思う。未来を知りたいと願う時、その人は自分も未来を構成する一人なのだということを忘れているのだ。遅延を知らない未来と遅延を知っている未来は違うということなのだ。

僕はだから未来は知るものではなく作るものだと思っている。未来を構成するものの一つとして自分が望む未来になるように行動すること。そのために未来を具体的にイメージしてそこに至るための道を考えること。それを積み重ねたとき、過去を振り返れば未来を知っていたかのような行動を自分がしてきたと他人は感じるのだろう。未来は行動からしか生まれないのだ。

***

如何でしたでしょうか?今回は自分としてもかなり出来が悪かったなーという印象でした。それもこれもギリギリまで忘れていたという初歩的なミスのせいですが。以前に同じ「未来」というお題ではうまくいったことを考えると、どうもまだ完成度にムラがあるようです。さて、以下が講師の方の評価です。

評価点:

指摘点:

いやー、ボロボロですね。いくら出来が悪いと思っているとはいえ、これを読んだ時は結構へこみました。中途半端なものを出してしまったこと。気の緩みがあったこと。次回からは心を入れ替えてやろうと決めたのでした。

真面目に反省点を挙げると「未来とは当事者意識を持って参画することで作られる」という主張を伝えるためにどうすれば良いか」の考えが浅かったように思います。ロジックを考えるだけで精一杯で、それを「いったん崩して伝わる形に再構成する」という手順が抜け落ちていたのですね。結果。例にしても文章構成にしても全く刺さらない文章になってしまった。

この次は、反省して頑張りました…はずww 次回をお楽しみに!文章力向上のためにもご意見・感想、批判、指摘なんでも良いのでコメント待ってます!
  1. 2012/09/25(火) 21:30:25|
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「落ち込んだときは体を温めれば良いと思います」

SPBS文章通信講座のコーナーです。 目的は文章の説得力と読ませる力をつけること。感想・批判・賛同・反対などなどコメント頂けると嬉しいのです。講座の条件は以下の通り。

今回は12月の第2回分です。テーマは具体的テーマ「師走」か抽象的テーマ「ほかほか」。僕は「ほかほか」を選びました。どうも抽象的テーマの方が評価が良いように思われるので。以下、本文です。どぞ~。

***

タイトル「 落ち込んだときは体を温めれば良いと思います。」


生姜が人気らしい。「体を温めてくれるから冷え性やダイエットに効く」というので注目されているようだ。確かにここのところ冷えてきたし温めてくれるものならみんな欲しがるだろう。いつもならひねくれものの僕はみんなが欲しいものは欲しくなくなってしまうのだが、体調を崩していたというのもあり、体に良いのならと思って紅茶に入れて生姜紅茶として飲むことにした。変な味だ。でも、確かに温まる。飲み始めて2週間。体調不良は見事に治り、むしろ元気になった。そこで思いついた。もしかしたらこれを落ち込んでいるときにも飲んだら嫌な気持ちが軽くなるかもしれない。

というのも「体と気持ちはつながりあっていて、体を温めるということは気持ちをも温めて元気を出すことにつながるのではないか」と考えるからだ。

例えば、「温かい」とか「冷たい」という言葉は皮膚感覚である。その言葉を「温かい対応」とか「冷たい目」とか直接的に体が温まったり冷えたりすることではないことにあてる。ここで温かかったり冷たかったり感じるのは気持ちだ。温かい対応をされれば嬉しいし冷たい目で見られれば悲しい。嬉しさはポジティブな気持ちで悲しさはネガティブな気持ちだ。このことは体が感じる寒暖と気持ちが感じる寒暖(ポジティブとネガティブのことだ)がつながりあっていることの証拠だろう。

また、調べてみると「(2)低体温で意欲低下」(2011年9月11日付 読売新聞)という記事があった。これによると体温の高低は意欲の高低と関係しているとされている。体温が高いときはやる気があり逆に低いときはやる気がないのだ。そういえば学生時代、朝起きるのが嫌いな僕は学校に行くことが本当に嫌いだった。ある日、朝食後に体温を測ってみると34.6分。そりゃやる気も出ないというものだ。

こう考えてみると、気持ちをコントロールするのに体温管理が重要なのだと気づく。例えば、僕は仕事でミスをしたりして落ち込んだときは風呂に入ったりして体を温めるようにしている。二度とミスしないように対策を考えたらそれ以上落ち込んでも無駄だからだ。だが、そうは言ってもやっぱり落ち込んでしまうこともある。それはそれまでの落ち込みで体が冷えているからなのだ。だから、そういうときは風呂でも生姜紅茶でも何でもいい。体を温めればやる気が出てくるし少なくとも嫌な気持ちは軽くなる。落ち込んだ時のオススメの処方箋である。

***

如何でしたしょうか?ご意見・批判等あるかもしれませんが、まずは講師の方の評価を書いておきます。

評価点:

指摘点:

以上です。全体として今回は好評でしたね。今、読み返してみても我ながら結構イイ感じ。ただ、もう少し接続詞は少なくてよかったかもしれません。これまでが肩肘張っていたところ、力が抜けた印象です。身近なことを書くほうが向いているのかもしれませんね。まあそれも勉強不足なだけかもしれませんが。

そんなわけで、文章力向上のためにもご意見・感想、批判、指摘なんでも良いのでコメント待ってます!
  1. 2012/09/25(火) 21:30:05|
  2. SPBS作家・ライター養成講座の記録
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ビッグデータとリアルショップを繋げられないか

佐々木俊尚さんのメルマガを購読しているのですが、読んでいて思いついたことあったので覚書として書いておきます。
新聞社は巨大なビッグデータを活用することによって、単なるフローのニュース記事のコンテンツプロバイダとなるのではなく、膨大な記事アーカイブを活用し、それらの記事にありとあらゆる方法で価値を与え、新たなコンテンツへと転換していくことのできるデータプラットフォームとなる可能性を秘めているということなのです。(佐々木俊尚さんのメルマガより引用)

この部分。特に書評とか映画評論とか音楽評論とかその他評論を本屋、映画館、CDショップ、レンタルショップとかの位置データやネットショップと組み合わせると面白いことが出来そうですね。いやむしろ評論家のエピソードの方が有効かもしれません。

例えば、書評家が良く行く本屋とかCDショップとか。もしくは気に入った書評があったとして、「いいね」ボタンとか「お気に入り」ボタンとか押すと近くの本屋や映画館、CDショップが地図付きで表示されたりとか。クーポンが付けれるとさらに良いかも。

アマゾンではなくてお店に実際に行くことに対して何らかのインセンティブを与えられると面白そうなんだけどなー。あ、自分の最寄り駅とか通勤路、良く行く場所を登録してもらえば自動で、この前「お気に入り」した書評の本が売っている店はここだよーとか通知してくれるアプリなんてあるともっと良いかも。あー、プログラミングスキル欲しいなー。
  1. 2012/09/25(火) 21:29:27|
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「ドキドキ消費社会」

SPBS文章通信講座のコーナーです。目的は文章の説得力と読ませる力をつけること。 感想・批判・賛同・反対などなどコメント頂けると嬉しいのです。講座の条件は以下の通り。

今回は11月の第1回分です。テーマは具体的テーマ「TPP」か抽象的テーマ「どきどき」。僕は「どきどき」を選びました(TPPは興味はあったのですが情報が錯綜していて、自分が勉強不足だったこともありやめました)。以下、本文です。どぞ~。

***

タイトル「ドキドキ消費社会」


僕たちは「ドキドキ」をお金で買っている。

映画だったり小説だったりバンジージャンプだったり。お金と引き換えにそれを観て読んで体験してドキドキする。「お金で気持ちを買うだなんて!」って言う人もいるだろうけど、僕はそう思わない。

人間がドキドキするときとはどういうときだろう。映画や小説なら主人公が絶体絶命のときだろうしバンジージャンプなら落ちる瞬間が最高潮だろう。そう考えると危機的状況に陥ったときに僕たちはドキドキするみたいだ。あくまで疑似体験だけど。

じゃあそのドキドキが快感なのはなぜだろう? だって本当の危機的状況だったら「二度とあんな思いはごめんだ」って思うはずじゃないか。危機的状況に遭遇するのは誰でも嫌なはずなのに疑似体験なら快感だと思うのは変だ。危機的状況とドキドキは直接結びついているように見えるのに本当はそうじゃないってことだろうか。

他のドキドキする状況を考えてみよう。恋愛なんてどうだろうか。恋愛中は何でドキドキするのか。相手の反応が気になって仕方ないからだろうか。それなら「他人のことは分からないから」ってまとめられそうだ。他ならぬその相手のことが分からないからこそ不安にさせられたり嬉しくなったりドキドキさせてくれる。そうやって考えてみると「知らないことに真剣に取り組むとき」に僕たちはドキドキするのかもしれない。

としてみると、危機的状況の疑似体験でドキドキするのはもしかしたら自分が陥っていない状況だからかもしれない。その上で大抵の場合、助かるって分かっているからかもしれない。考えてみたら後味が悪い作品って大体助からない場合だし。本当に高いところから落ちたら死んじゃう。つまり、ドキドキが快感なのは知らないことに希望が持てるときなんだ。それで成功したり助かったときにその時のドキドキが快感になる。失敗したり助からなかったら「もう二度とあんなことはごめんだ」ってなる。

だからドキドキが売られていることはそう悪いことじゃないと思う。だって誰でも挑戦できるわけじゃないもの。今日と同じ明日が良い人だっていっぱいいるはずだもの。でも、そういう人たちだってドキドキしたって良いじゃないか。失敗は誰だって怖い。いつも失敗と隣り合わせだなんて息苦しくて嫌になっちゃう。挑戦はたまにしてそうじゃないときは疑似的なドキドキで満足した方が健康だと思うのです。

***

いかがでしたでしょうか?今回は前回「私たちが未来に対して出来る唯一のこと」と前々回「心のざわざわを歓迎しよう」の反省から、肩の力を出来るだけ抜いてエピソードと構成に力を入れました。結果、講師の方の評価は良さげでした。 ですが、力を入れた部分の評価はもらえたのですが他があまりうまくいかず。  あちらを立てればこちらが立たずですね。まあ僕が実力不足なだけだったりしますがw

指摘点を箇条書きでまとめますと以下の通りです。

これはつまり力を抜きすぎたというかライトに書こうと意識しすぎてた結果ですね。バランスって難しい。表現の部分は注意すれば済むとして、結論の弱さは確かに否めない。もうひとひねりの考えが必要ということですね。一度書いたあとに熟成させる過程を置くことで解決したいと思います。

「1,000字という制限の中でいかに表現するか」これが今後の課題となりそうです。

そんなわけで今回は終わりです。感想・批判・賛同・反対などなどコメント頂けると嬉しいのです。よろしくお願いします。
  1. 2012/09/25(火) 21:29:07|
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「「心のざわざわ」を歓迎しよう」

「「心のざわざわ」を歓迎しよう」

ここのところ、更新が滞っていましたSPBSの文章講座ですが再開します。目的は文章の説得力と読ませる力をつけること。感想・批判・賛同・反対などなどコメント頂けると嬉しいのです。講座の条件は以下の通り。

今回は9月の第2回分です。

テーマは具体的テーマ「9.11」か抽象的テーマ「ざわざわ」。僕は「ざわざわ」を選びました。以下、本文です。どぞ~。

***

タイトル「「心のざわざわ」を歓迎しよう」


私は人生を楽しむためには「心のざわざわ」を歓迎する必要があると考えている。

理由を述べる前に、そもそも「心がざわざわする」とはどういうことを指すのかを述べていこう。私は「心がざわざわする状態」とは「自分の世界が異物と出会い揺らいでいる心の状態を指す」のだと思う。

議論を正確にするためにまず自分の世界とは何かを説明しよう。

自分の世界とは、自分の見ている世界を指す。当然のことながら他人の見ている世界と自分の見ている世界は違う。 他人が素晴らしいと思う神が、自分にとっても素晴らしいとは限らないのだ。

その他人とは違う自分の世界で、自分の世界にはない経験に、想定外の事態に出会う。そのとき心は惑う。その出来事によって安定していた世界は揺らぎ、今までとは違うものに変わる。変わらざるを得なくなる。どれだけ無視して忘れようとしてもその出来事に出会った事実は変えられない。この自分の世界が揺らぎ、変化していく過程の心の状態を「心がざわざわする」と表現するのだと私は考える。クラス替えの朝に。始めての外国に。あの娘に告白する日の朝に。変化の中にそれはあるのだ。

自分が何を考えようと関係なく世の中はどんどん変化していく。情報を分析し未来を予測しても想定外の事態は必ずやってくる。倒産しないはずの会社が倒産し、起きない筈の事故が起きる。僕たちの世界はいつだって「諸行無常」なのだ。

変化に対応できない者にとっては厳しいかもしれないが、厭きっぽい私にとってこの世界は悪くないものである。昨日と違う今日。今日とは違う明日。変化に対応できているとはお世辞にも言えないが、この世界において変化が常態なのだとしたら少なくともそれを楽しみたいではないか。昨日とは違う夕餉を。これから読み始める一冊の本を。私はこの世界を楽しみたい。

「心がざわざわしている」ということは、自分が変化している最中だということだ。つまり、それを歓迎するということは変化を歓迎するということになる。他者によって変化させられる自分を歓迎する。昨日までとは違う自分を。この諸行無常の世の中で変化を嫌がるよりは、積極的にそれを楽しむ。そう考えれば人生を楽しむことは容易になると思うのである。

***

いかがでしたでしょうか?

コンペまでの反省を活かしてライトな切り口で読ませる文章にするよう注意して書きました。僕は専門家ではないので、あくまで自分の視線を大事にした方が結果的に伝わる可能性が高いのではと思った次第です。結果として講師の方の評価は今までと比べると良かったので一安心。指摘点を箇条書きでまとめますと以下の通りです。

概ね狙い通りでしたので嬉しかったのです!ですが、説明口調というのは考えていませんでした。これは第一人称が「私」というのが原因の一つかもしれません。今読むとどうも力を入れすぎてしまっているようなのです。ですので、話し言葉にはならない程度に、もっとライトにポップに書いたほうが効果的なのかもしれないですね。もちろん中身はもっと深堀りできるようにしますが。

そんなわけで今回は終わりです。感想・批判・賛同・反対などなどコメント頂けると嬉しいのです。よろしくお願いします。
  1. 2012/09/25(火) 21:28:45|
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少子化の犯人探し

1ヶ月くらい前に連続ツイートした内容をまとめました。題名は「少子化の犯人探し」。以下です。どうぞー。

  1. 少し前に上司と飲んでいたときに「子供を産まなければ日本は少しずつダメになっていく。だからもっと産まないとだめだよ」と言っていた。表面上は納得したけどその論に全面同意はできない。子供が少ない問題は「全体として産まない人が多く産む数が少ないため子供が減った」ということである。

  2. 全体として産まない人が多いのは合理的に考えた時産むことのデメリットが多いということである。産みたくない人もいるし産みたい人も昔からいるだろう。問題は産みたくないと明確に思っていない人が産まないことにあると思う。あ、ちなみにデータに基づいているわけではないです。

  3. この「産みたくないとは思っていないけれど結果的に生まない人」をどう産む用に仕向けるか。これはシステムの話であり、「日本のために産みなさい」という感情面への訴えかけでは大勢は動かないと思う。だから「若者が子供を産まないのがいけない」というのは的外れな指摘である。

  4. するべき指摘は「若者が産もうと思えないシステムを作った社会の構成員」にあるのであって、若者だけが悪いわけではない。保育園とか教育費とか共同体とか問題は複雑に絡まり合っていて「産まない人が悪い」という考え方は間違っている。

  5. 「産まない人が悪い」と高校無償化についてどう考えているのだろうか。子ども手当てについては。そろそろ感情的に誰かを犯人に仕立て上げるのは止めて欲しいものである。

  6. 以前、酒の席で上司に言われて気になっていたことを考えてまとめてみました。あ、ちなみにその上司のことは好きですよ。言った内容について気になっただけです。


いやー社会の問題はそんなに簡単なものじゃないのですよ。難しい問題は難しく考えないといけないのですよ。そう思うのですよ!!

てなわけで、さよーならー。
  1. 2012/09/25(火) 21:27:55|
  2. 書いた
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TPP議論について思うこと

TPPに参加することが決まりましたね。ということで、TPP議論について考えたことをツイートしたもののまとめです。。ちなみに僕は「今のままでは良く分からないが、リスクの方が高そうなのでどちらかというと反対」という立場です。ではどうぞ~。

サルでもわかるTPP
高校生からのマクロ・ミクロ経済学入門 ブログカテゴリ リカード 比較優位 
なぜTPP反対論が盛り上がるのか - Baatarismの溜息通信
TPPについてのリンク集
TPPを巡る問題と非問題
「TPP問題の根底/NHK 激論!TPP(1)」/枕石漱流 日記(ユング心理学 ...
wikipedia 環太平洋戦略的経済連携協定 
TPPの問題点は問題じゃない?と非関税障壁
TPPの反対意見 ~参加理由の問題点の指摘~
政府によるTPP協定交渉の分野別状況
  1. 2012/09/25(火) 21:27:38|
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インターネットとSNSの普及で訪れるのはゆるい未来型ムラ社会かも?

ツイッター、フェイスブック、ミクシ、アメブロなどなどなどSNSの普及がなされて久しいが、SNSがあるのが当たり前の世界になるとどうなるのか、ざっくり考えてみた(実は書店や出版業界と絡めて以前書いたこんなエントリがあったり、似たようなことを言っているこんなエントリもあるのですが、改めてまとめてみることにしました)(あと、ここでは基本的に日本のことしか扱いません。他の社会は知らないので)。

では、行ってみよ~。

ざっくり歴史を見てみる(近代以前から近代)


まず、歴史を見てみると、近代以前(江戸時代とします)は封建制の社会だった。この時代は幕府があって、その下に殿様)、その下に一般市民がいる町や村があって小さな共同体を運営していた。ムラ社会の維持が共同体全員の生死を決していた時代である。

そこでは皆が助け合って暮らしていた。助け合わなければ生きていけなかった。だからムラの掟を破ったものは厳しく罰せられた(村八分=共同体から強制離脱)。現代を知っている我々からしたら息苦しそうな社会だが、共同体を維持できるかどうかが生死に直結しているのである。それも仕方ないと言える。

ところが、近代に入り、豊かになってくると個人でも生きていけるようになる。「近代的自我の芽生え」とかそんな大層なことは言わないけれども、大雑把に言えば個人が自分ひとりのことを考える余裕が出来てきたということである。

ざっくり歴史を見てみる(近代からバブル崩壊以前)


それで、明治維新から戦争期に急速に社会が発展して個人主義が台頭するかと思いきや、その前に軍国主義(全体主義)の時代が訪れ第二次大戦でそれが強制的に終わる。戦後、GHQの統制社会の中、憲法が新しく書き換えられ、GHQ退去後も米国に対するゆるやかな従属は続く。

そんな中、軍備という大きなファクターを米国に丸投げできた日本は、経済成長まっしぐら。戦前まで残っていたムラ社会的社会主義も社会全体としては徐々に解体されていく。そのお陰(せい?)で「恋愛結婚」や「自分探し」などといった言葉が生まれ、急激な社会変化により大人世代と子ども世代の感覚の差が浮き彫りになり、「新人類」という言葉も生まれる。そうやって「社会(≒みんな)の為に」より「自分のために」が重視されるようになる。

近代から現代に至るにつれ、ムラ社会は崩壊し、個人主義が台頭するようになってくる…と思いきや、日本では村が解体されたとはいえ、終身雇用制の大会社がムラ社会と入れ替わっただけに過ぎなかったりするため、バブル崩壊以前は未だに「空気を読むことが重視される社会」、「和を尊ぶ社会」、「出る杭は打たれる社会」というムラ社会文化は残っていた。

ざっくり歴史を見てみる(バブル崩壊後~現代)


終身雇用制度を持つ大会社によって存続していたムラ社会であるが、バブル崩壊によって大会社もついに終身雇用制度を維持できなくなり、大会社ムラの大前提である終身雇用制度は崩壊する。崩壊前は大会社ムラに入ることは多少の息苦しさはあっても十分な利益の見込める人生戦略であり、社会の大多数はそのことに同意していた。

終身雇用制度の崩壊(実際は一部続いているが、少なくともそう思われた)により多くの人間が大会社ムラへの不審を抱くようになる。だが、そんな不審をよそにして社会制度は未だに大会社ムラを続けるための制度のままであり、世間の空気もやはり大会社ムラ賛美のままである。

個人の台頭を許さない閉鎖的ムラ社会と、近代化・現代化によって芽生えた「個人主義」がぶつかりあい、通奏低音のように流れ続ける排他的な「空気」のために、個人主義は敗北を喫している(≒自殺者の増加)。

インターネットによる個人主義の台頭


ところが、個人主義はインターネットを見方にして花開いた。「IT革命」ではそれまでの日本的慣習への志向ではなく個人の成功を夢見ることができた。しかし、それも前時代的なシステムを抱える日本では長く続かず、堀江貴文氏の逮捕によって幕を閉じる。その後に待っていたのは「失われた20年」と増え続ける自殺者である。結局、日本人はムラ社会的共同体である日本を変えられないまま現状の日本に至ってしまった。

今、日本にあるのは縮小していく(その過程で大会社ムラから正社員ムラに意識が交代したと思う)ムラ社会とそこからはじき出された(もしくは飛び出した)個人である。

中途半端な個人主義


そんな中、放りだされた個人は一人だけで生きていけるわけもなく、かといって閉鎖的な大会社ムラ社会に戻ろうとも思えないし戻ろうにも戻るのは難しい。そんな人々にとって日本社会は生きにくかった。とは言え、こういう状況でもインターネットを駆使できる人はまだ2chやブログなどで「つながり」を感じることができるし、技術があれば独立することもできたかもしれない。

それでも、大会社ムラ社会の成員(正社員)でないものにとって生きづらいことは確かであり、それは仕事云々もそうかもしれないが、それ以前に正社員でないものに対する世間の目が、自分の中の常識が彼を追い詰めるせいでもある。正社員ムラに属していない人は、特殊な人であり、いかがわしい人か特別優秀な人でしかないのだ。

だから、組織に属するよりも個人でいたい人、組織に属してもいいが堅苦しいのはダメな人などにとって日本社会はとても生きづらかった。特に合理性もなく慣習で無駄な作業が多く発生して、それに従わなければいけない理不尽に耐えられない者にとっては、この社会は生きづらかったのである。

SNSとスマートフォンの普及


このような生きづらい日本社会において、ついにSNSが登場する。ミクシに始まり、ツイッター、フェイスブック。特に爆発的な広がりを見せたツイッターは140字という制限が効いているのかそれとも実名を出す人が多いためか、オープンでありながら2chの一部のように吹き溜まり化せずに、人と人の「つながり」を援助してくれる格好の場となった。

フェイスブックはツイッターに比べてクローズドであり、その分、プライベートな話題にも踏み込めたり、読者との距離をより近づけることができるSNSだ。ミクシは最近迷走しているが、日本的クローズドな文化を持った日記文学の跋扈するSNSだ(僕のTL上では結構ミクシページを作っている人が多いことからも、やはり日本人のマインドに合っているのだろう)。

今までは、大会社ムラ、正社員ムラに入り身分が保障されないと手に入れづらかった人脈が以前よりも飛躍的に手に入れやすくなったのだ。そうするとどうなるか。大会社ムラ、正社員ムラから飛び出した(あぶれた)人たちが、それぞれで共同体を作り始めるのだ。

それはそうだ。一人よりも誰かとのつながりがなければ人は生きて行くことは難しい。人間は社会的動物なのだ。ただ、そのつながりを社会通念上においても制度上においてもよほどの能力が無い限り選べなかったことが、日本社会が不幸な自殺者を多く生み出している原因なのだ。

しかも、大会社ムラ、正社員ムラから飛び出した人が変えるべき古き良き村社会は崩壊しているのだ。そりゃ自殺者も増えるってなもんだ。

そして出現し始めた「ゆるい未来型ムラ社会」


SNSはそんな彼らの福音になり得る可能性を秘めており、徐々に日本社会は世界は変わり始めた。ツイッターやフェイスブックを利用したビジネスが生まれ、僕のTLではフリーライターが活発に活動しているように見える。

シェアハウスなどシェアの文化が流行り始めた。一人では生きにくくても似たような人間が集まれば生きやすくなるってなものなのだ。以前よりもSNSを利用している人にとっては過ごしやすい社会になってきたことは確かだろう。

これは言い換えると、大会社ムラ、正社員ムラという大きなムラだけでなく生まれては消えていく小さなムラが乱立しているということでもある。もちろん共同体である以上どんな小さなムラでもルールが自然と生まれ、そうするとそれに反発する者にとっては過ごしづらい場所になっていってしまうだろう。

ところが、ここが大事なのだが、このSNS時代においては、いつでもこの小さなムラ社会から抜け出せるし、いつでも新たなムラ社会に参加できるのである。その上、副業が禁止だった大会社ムラ、正社員ムラと比べ、この小さなムラ社会は何村でも駆け持ちができるのだ。

そりゃ、いろんな場所に顔出しては暴れ回ってたら悪い評判が立って、どこにも居れなくなるというのは有り得ることだけれど、それもインターネットに国境が無いことを考えると自分の語学能力さえ高めれば、自分のことを全く知らないムラはどこかに必ずあるだろう(匿名で活動していればいくらでも可能である(もしかしたらIP解析されると厳しいかも))。

つまり、現在進行中の現実の先には、参加・離脱が比較的自由で小さなムラ社会が乱立する社会となるだろうと考えられる。これが僕の考える「ゆるい未来型ムラ社会」である。このムラ社会では今までよりも簡単に仲間を見つけられるし、そこから生きていくためのビジネスに発展させることも容易だ。しかも、嫌になったら飛び出せば良いのである。そうして新しいムラを見つければ良いのである。

こんな社会はSNS以前の大会社ムラ、正社員ムラの成員でなければ白眼視されるか特別視されるかされた社会よりいくらかましだと思えないだろうか。SNSは個人が受発信するツールであるという特質上、組織に属す必要が必ずしもない(組織の名前を使って受発信することも大いにある)という時点で僕にはましな社会だと思える。

東日本大震災で見えた懸念点と希望


懸念なのは、東日本大震災直後の自粛ブームや一部の過剰な反原発派のように感情的に同質性を(しかも「善意」による)求める声がSNS上にも一定数以上いると言うことだ。これが広まり過ぎると現実の日本社会と同じような「出る杭を打つ」「右ならえ右」の文化となってしまう。

SNS上でも例えばミクシでは「今までいたムラ(コミュニティ)の人に悪いから」とかツイッター上では「フォローされたからリフォローしないと失礼だ」とか「リプを返さないなんてなんて失礼なんだ」とか「段階的に脱原発とか言っている時点で即原発推進派だ、つまり敵だ」とか。そんなことになりかねない(信じられないことに一部そうなっているみたい)。

違うでしょう。SNS(特にツイッター)はもちろんパブリックな場ではあるので、言ってはいけないことというのはあるだろうけど、人間関係に置いてはもっとドライでゆるいものでしょう。まあ何にせよざっくり東日本大震災で分かったことはSNSは「地獄に通じる善意」も「天国に続く善意」も「悪意」も全てを広める大きな力秘めているということだろう。

唯一、東日本大震災によって見えた希望は、SNSを使っていないような層にも「このままではマズイ!」という気持ちが共有されたことだ。相変わらず大会社信仰はあるようだが少しずつ学生起業をしたり、大会社就職以外に進もうとする人が増えてきたように見える(萎縮して何もできない人も増えたとは思うが)。

この情勢が続き、「大会社ムラ、正社員ムラ」信仰が少なくなっていけば、もっと生きやすくなるだろう。そうやって「大会社ムラ、正社員ムラ」という大きなムラが無くなった後に残った乱立する小さなムラ社会を自由に行き来しながら世界を楽しんで生活できる人が増えて行くのだろうと思うのだ。

その先に待っているのは「ゆるい未来型ムラ社会」か、それとも弱肉強食の世界(西欧社会の様な競争重視の実力社会ということ)か。僕は前者が来ることを願っているし、そうなるだろうと思っている。きっと鍵はベーシックインカムと各SNSの文化デザインになると思うんだけど、それは勉強していないのでまた今度。

うーん、しっかり伝わるように書けているか心配ですが、僕は今回と前回で書いたように、「ゆるい未来型ムラ社会」は個人が生きやすい社会だと思うし、僕にはそれがまともな社会だと思えるので、未来に希望を持って書きました。実際問題どうなるかは誰にもわからない。予定は未定。また来週。

なんじゃそりゃ…www

参考資料


マスコミは、もはや政治を語れない 徹底検証:「民主党政権」で勃興する「ネット論壇」 (現代プレミアブック)
キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる (ちくま新書)
カーニヴァル化する社会 (講談社現代新書)
そこまで言うか!
明治 ?近代的自我の目ざめ
失われた20年 wikipedia
日本経済の「失われた20年」 - 池田信夫
幸福途上国ニッポン 新しい国に生まれかわるための提言
などなどなど
今まで読んできた全て
ってことで、これくらいで勘弁して下さい
もう覚えていないのがほとんどなんです 汗
  1. 2012/09/25(火) 21:27:13|
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フジテレビと韓流とツイッター

本と私の世界

最近、文章講座的なものを受けていて、広く意見を聞いておきたいと思うので、お題と自分が書いた文章を公開します。「文章のつながりがおかしい」とか「内容がつまらない」とか、「表現がおかしい」とか、気がついたことがあれば、忌憚なくコメントいただければ幸いです。条件としては「1,000文字以内でお題について自由に書け」というもの。

今回は第三弾。テーマは「韓流」。では、どうぞ!

***

フジテレビと韓流とツイッター


フジテレビの韓流偏重放送が叩かれているようだ。原因はこの出来事。「「自分からは切り出してない」フジテレビ批判の高岡蒼甫 スターダストを退社へ」注1)。どういうことか気になったので韓流の歴史について調べてみた。

2003年「冬のソナタ放送」→2004年「韓流ブーム到来」→2005年「韓流ブーム下火に」→2010年「KARA、少女時代、日本での活動開始。第二次韓流ブーム到来」→2011年「フジテレビの韓流偏重放送にネット上で批判殺到」→現在。調べた結果をまとめると以上のようになる。

2003年に冬ソナを発端に中高年女性が一度目の韓流ブームを巻き起こし、2010年には若者たちがK-POPと呼ばれる韓国の音楽を中心に二度目の韓流ブーム起こした。そして、現在、大震災や財政危機など国難により生じたナショナリズムなのか、それとも飽きただけなのか、韓流コンテンツばかりを流し続けるフジテレビに批判の矢が相次いでいる。なぜ二度目でだけこんなことが起こるのだろうか。

一度目のブームの年は不景気ではあったが小泉首相が郵政改革を成功させた年でもあり、まだ政治に期待ができた。それに比べて二度目のブームである現在は、尖閣諸島や竹島を巡る領土問題、東日本大震災によって国内の政治経済は惨憺たる状況である。では、韓流批判は現状に不満を持つ人々が高岡蒼甫さんの発言を発端に燃え上がっただけなのだろうか。

私はそれだけではないと思う。それは一度目のブームにはなくて二度目のブームにはあるもの。ツイッターだ。一度目のブームの時点でもブログがあり芸能人の発言を発端に炎上することはあった。だが、ツイッターは、アカウント取得や更新の気軽さでブログをはるかに上回り、現状で約2千万人が利用しているようだ 注2)。それだけの拡散性があるとも言える。

ブログであればここまで大きい問題にはならなかったはずだ。ツイッターという場だからこそ拡散が拡散を呼び、反響を大きくし事務所が無視できなくなってしまうほどの問題になってしまったと思うのだ。そう考えると、ツイッターという場が現状への不満を持つ層をこれまで以上に燃え上がらせたというのが今回の騒動の原因だろう。

私はゆるいつながりを実現できるツイッターが好きだ。しかし、何事も使い方を誤れば問題を引き起こす。ツイッターを吹き溜まりにしないためにもその使い方を注意していきたいものである。

注1)2011年7月28日付 日刊サイゾーより
注2)2011年2月25日  MATCHA LATTE MEDIAより
参照資料
台湾国会で「韓流番組」規制法案が通過見込み
韓国有名大学教授が抱く「韓流ブーム」への危機感
止まらない芸能人の「韓流傾倒テレビ」批判 今度は芸人・ふかわりょうがJ-WAVEで苦言
「自分からは切り出してない」フジテレビ批判の高岡蒼甫 スターダストを退社へ
茂木健一郎「韓流のどこが悪い」 フジテレビ「不視聴」を批判
フジテレビで韓流が多いのは既得権を死守した末路
韓流ドラマ放送フジ「ダントツ」1位 自社制作より安く、視聴率も取れる
【マスコミ】フジと日テレ、外国人株主を名簿不記載で免許取消し回避 ひろゆき氏の指摘、株式市場の内外で話題★4
フジテレビと日本テレビの放送免許が危ない問題
韓流ドラマの歴史観
韓流問題ヒートアップ、「電凸」出現 商品レビューに酷評書き込みも

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注意指摘などなど何でも良いのでご意見伺えればと思います。よろしくお願いします。
  1. 2012/09/25(火) 21:26:46|
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管直人首相と日本の民主主義

本と私の世界

最近、文章講座的なものを受けていて、広く意見を聞いておきたいと思うので、お題と自分が書いた文章を公開します。「文章のつながりがおかしい」とか「内容がつまらない」とか、「表現がおかしい」とか、気がついたことがあれば、忌憚なくコメントいただければ幸いです。条件としては「1,000文字以内でお題について自由に書け」というもの。

今回は第二弾。ではどうぞ。お題は「管直人」。

ここから僕の文書です(読みやすさのために行間を空けています。原文ではワードのため行間は空いていません)。

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タイトル「 本当に管首相が問題なのか 」


「リーダーシップが無い」、「行き当たりばったり」、「閣内不一致」。これらは管直人首相を説明するときに出てくる言葉である。

本当に問題設定はそれでいいのだろうか。私は、現状の政治の機能不全の原因はシステムの問題であり、「管首相だからダメだ」ということではないと考えている。ところが、マスコミやインターネットにおける批判を眺めているとどうも他の人は違うらしい。

マスコミは「早く退陣しろ」の一点張りである様に思えるし、インターネット上では結果論ばかりが目立つ。それでは、なぜその管首相を民主党は選んでしまったのか。なぜ民主党を国民は選んでしまったのか。答を述べる者は少ない。「誰がいけないのか」を言うばかりで「何がいけないのか」を言っていないのだ。

では何がいけないのか。

私が思うに、それは大きく分けて「官僚制度」、「記者クラブ制度」、「小選挙区制」の3点にある。

「官僚制度」が機能しなくなり、そのシステムを批判するはずのマスコミが「記者クラブ制度」によって機能しなくなり、民意を反映するはずの選挙制度が「小選挙区制」によって機能しなくなっているのだ。

まず、問題設定として「官僚制度」は財政破たんを防ぐためにリストラクチャリング(再構築)されなければならない。しかし、官僚の雇用元は国家であるため破綻のプレッシャーがない制度は自浄機能を持たないため、その機能は本来マスコミが担うはずである。だが、マスコミは「記者クラブ制度」という悪癖により官僚に情報をコントロールされており責務を果たしているとは言い難い。また、民意を反映し、必要ならば全体最適のために国民を説得する政治家を選ぶ選挙制度も「小選挙区制」により機能していない。小選挙区制が反映する民意とは高齢者の民意であり、高齢者は一般的には保守的である。保守的な人間に変化を起こすことはできない。

どの制度も現状を打破し変化を起こすという理由を持っていないのである。では、こんな状況で我々ができることは何か。それは民主主義に参加することだ。

政治を「お上」が勝手に決めるものではなく、「自分たち一人一人が参加し作り上げていくもの」ということだと考えること。情報は誰かが100%信頼できるものを一方的に与えてくれるものではないということ。それらを踏まえた上で、自分の意見を持ち行動すること。我々は江戸時代から続く「お上」に頼りきった考え方を変えなければいけない時期に来ているのだ。

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以上です。

賛同否定、注意指摘などなど何でも良いのでご意見伺えればと思います。よろしくお願いします。
  1. 2012/09/25(火) 21:26:21|
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肉牛のセシウム汚染から考える情報の非対称性について

7月23日(土)にツイートした、「肉牛のセシウム汚染から考えた情報の非対称性について」をまとめました。ちなみにツイートでは伊藤計画さんの「虐殺器官」をはじめ「ハーモニー」と勘違いしてしました。読みやすくするためにこちらでは、始めから「虐殺器官」としています。それとツイートの頭に番号を付けました。以下です。どうぞ~。

以上ですが、うーん、10番11番のつながりが甘いなー。ここは権力の監視機関ということで、ジャーナリズム論とか勉強しないとダメかな。

自分としては「意識の差を認識すること」「意識を変えることは難しいこと」「変えるならば相手にとっても利益があることを示さなければいけないこと」を考えていたのだけれど…これじゃあ説得力弱いかも。勉強不足だ。ご意見あればコメントいつでもお待ちしております。
  1. 2012/09/25(火) 21:24:33|
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ポップコーン脳とゲーム脳

本と私の世界

最近、文章講座的なものを受けていて、広く意見を聞いておきたいと思うので、お題と自分が書いた文章を公開します。「文章のつながりがおかしい」とか「内容がつまらない」とか、「表現がおかしい」とか、気がついたことがあれば、忌憚なくコメントいただければ幸いです。

条件としては「1,000文字以内でお題について自由に書け」というもの。ではどうぞ。

お題「下記のニュースについての考えを自由に書け」

「ネット漬け生活で脳が「ポップコーン化」 専門家が警鐘」http://www.cnn.co.jp/tech/30003173.html

ここから僕の文書です (読みやすさのために行間を空けています。原文ではワードのため行間は空いていません)。

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タイトル「 「ゲーム脳」と同じ構図?  」


6月24日、ネットサーフィンをしているとこんな記事を見つけた。「ネット漬け生活で脳が「ポップコーン化」 専門家が警鐘」という記事だ。筆者がこの記事を見たときの感想を一言で表すと「またか…」である。

筆者の子ども時代(今から15年程前)には「ゲーム脳」という言葉が流行った。今では「疑似科学」とされている論であるが、当時は、マスコミによってもてはやされていたことを子ども心に覚えている。曰く、「ゲームをすると頭が悪くなるからするな」。しかし、私はゲームをしたせいで頭が悪くなったとは思わないし(当時は相当のゲーム好きであった)、周囲の友人もそうであったと思う。ところが、親やマスコミはゲームをする者を批判し、しない者を褒めた。

ここからは私見だが、「ゲーム脳」という言葉は、新しいメディアに対する親世代の拒否反応ではないのか。

親世代が接していた娯楽では刺激が少ないと言って、子ども世代は新しい娯楽(=ゲーム)に飛びつく。そうやって新しい環境で育った人間はそれ以前の人間とは違う行動様式を取る。当然だろう。しかし、親世代は、その当然のことと向き合いもせず、ゲームという子どもを取り巻く新しい環境についてまともな議論もせず、自分たちとは違う行動を取る人間に対して過剰に反応しているだけのように思えたのである。

さて、記事に戻る。本記事には「インターネット依存症」を治療する医師も登場し、中国の実験も紹介されて一見説得力がある様に見える。だが、実験の検証についての記載はなく、「インターネット依存症」も病気として確定したと言えない。科学的に証明されたとはとても言えないのだ(「インターネットが現実社会に適応できなくなる恐れがある」という仮説を支持する研究が一例あるというだけだ)。言えることは、ゲームやインターネットに必要以上に没頭してしまう人がおり、社会性を失ってしまうことがあるというだけのことだ。

どうだろう。「ゲーム脳」と同じ構図だとは思えないだろうか。

本記事を書いた記者が何を考えているか私には分かりかねるが、一見、「科学的に証明されたこと」であるかのように見えるこの記事に、私は「記者のインターネットに対する悪意」を感じざるを得ないのである。

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以上、終わり。

賛同否定、注意指摘などなど何でも良いのでご意見伺えればと思います。よろしくお願いします。
  1. 2012/09/25(火) 21:24:04|
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成長という言葉について

昼ごろに思いついたことを連続ツイートしましたので、一応、ブログの方にもアップしておきます。テーマは「成長という言葉について」かな。最後は尻切れトンボな気もしますが、覚書ということで。では、どうぞ。

  1. 成長成長って言うけどその「成長」って何のための成長なんでしょうね。自己啓発書とか見ているといつも思います。

  2. 「経済成長」とかなら分かるんです。だって、「GDPが前年に比べて増えている」ってことを言っているだけですから。

  3. でも、自己啓発書とかの言っている「成長」って「自己の成長」なわけで。でも、そしたらまず「自己の成長」ってどんな状況を指すのかなーって思うのです。

  4. 例えば、ある営業さんが、成績を伸ばすという目標を持っていて、自分の今の能力ではそれが叶いそうもないと思ったとします。そのとき、成績を伸ばすために能力を成長させるとします。このときの「自己の成長」は「営業能力」の成長を指します。

  5. ところが、ある会社員の目的が「営業成績を伸ばすこと」ではなく「業務以外の時間で快適な生活を送ること」だとします。彼の目標達成のためには、業務を頑張ることで評価が上がり、定時に帰れなくなることは障害になります。そして、業務時間以外の生活を楽しむように精一杯がんばります。

  6. 自分の目的を考えるまでは「業務も頑張らなければいけない」と考えていたのですが、自分の目的を知った彼は関係者に迷惑をかけない程度に業務を抑えるようになりました。これを「成長」と言えるでしょうか。僕は言えると思います。

  7. なぜなら、「成長」とは自分の目的を達成するために「自己を最適化すること」だと考えるからです。ですが、自己啓発書とかトレンディドラマに出てくる成長譚は社会的な成功をすることを「成長」と位置付けているように思えます。このことは僕にとって理解できないことです。

  8. なぜなら、「社会的成功は全員がしたいものだ」という前提に立っている話だからです。ところが、その社会も無数にあるし、全員がそういう意味での「成功」をしたいわけでもありません。それを無視して、ただ「成功のために成長するのです」ということは欺瞞としか思えません。

  9. しかも困ったことに、案外とこの「社会的成功は皆したいものなんだ」という人は多くいます。そして、なぜか「それでは成長できない」と否定する人も中にはいます。言わないまでも否定する空気がそこかしこにあります。

  10. この「社会的成功を望まない人」「いわゆる成長を目指さない人」を包み抑圧する否定的な空気が日本社会の閉塞感の原因にある様に思えて仕方ないのです。「もっと自由で良いじゃないか。」僕はそう思います。


  1. 2012/09/25(火) 21:23:36|
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地震、原発、支援について考えてみた

昨日は疲れていて、距離を置こうと思っていたけど、一日休んだことで少し余裕が出てきたので、自分なりに考えたことを書こうと思う。

東日本地震の被害により多くの方が亡くなられている。行方不明者の多さ、被災から3日目の現時点で5000人以上と伝えられてることを考えると、確実に万単位の被害にはなってしまうんだろう。しかも福島原発ではメルトダウン(炉心溶融)が起こり、現状でも予断を許さない状況であるという(このことについては、僕は楽観視していて現状入手できる情報から判断する限りは、最悪の場合でも、現在、避難地域になっている20km圏内以上の被害はでないと考えている)。

凄まじい被害で、被災地の人たちは今を生き抜くことで精一杯だろう。それは救援の自衛隊も同様で、「一人でも多くの人を助ける」という目前の課題に精一杯だろう。

こういった状況で被害のない関西圏に住んでいる自分に出来ることは何か。それは「日常+無理のない継続的な義援金と消費活動」なのかなと思った。

被災者の人たちは今は、生き残ること精一杯だろうが、これから時間が経つにつれ、先のことを考えることができるようになっていく。明日のこと、来週のこと、来月のこと、来年のこと、5年後10年後のこと。そうなったときにきっと彼/彼女らは絶望的な気持ちになるかもしれない。

「いつまでにライフラインは整うのか」「これからどうやって暮らしていけばよいのか」「復興の目処が付くのはいつか」などなど心配事は尽きないだろうからだ。

今現在、特に変わらない日常を過ごすことが出来ている自分たちだからこそ、そんな彼らの役に立つであろう支援を、「無理のない形で」「継続的に」行わなければならないと思う。「無理のない形」でなければ「継続的な」支援など出来ないし、「継続的な」支援でなければ被災者の人たちに少しでも安心を届けることは出来ないんじゃないかと思うんだ。

だから、僕は日常を送りながら、無理のない程度の義援金を送り、土台となるべき日本経済の為にいつもよりちょっと多めに消費をする。なんだかんだいって自身に関しての情報収集をしているうちにそう思うようになった。

とりあえずは、信頼できるNPOなり何なりを見つけて、募金しようと思う。やっぱり日赤かなあ。

参考資料


佐々木俊尚「この危機は大いなる変化のきっかけになるかもしれない」
【佐藤優の眼光紙背】頑張れ東京電力!
MIT研究者Dr. Josef Oehmenによる福島第一原発事故解説
政府見解と食い違う日米専門家の意見 ‐ 木谷哲夫
原発に関するQ&Aまとめ+ [3/15-02:48更新]
渡辺由佳里のひとり井戸端会議 いま、黙っている理由
東北の被災者に支援物資をと考えている方ちょっと待ってください
【社会】ヤシマ作戦参加者に、外食のすすめ
不謹慎・自粛ムードに関する反論 - 松本孝行
未曾有の災害のときに 内田樹の研究室
とあるコンビニの金曜日から土曜日にかけて G.A.W.
  1. 2012/09/25(火) 21:22:43|
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キュレーターって口コミの発火点になるかも??(2)

美術館の階段

さて、前回に引き続き、全くの部外者による勝手な意見を述べまくります。間違っていたら優しく注意かスルーの方向でよろしくお願いします。



前回の記事で、「ソーシャルネットワークマーケティング」は、「我が社のファン(エンゲージメントされた顧客)を増やすためにSNSを使って積極的に顧客とコミュニケートしていこう、というもの」であり、「この「我が社」が「自分」もしくは「特定メディア」にするとキュレーター(とキュレーション活動)になるのではないか」と述べたけど、今日はそれを説明していく。

ソーシャルネットワークマーケティングとキュレーター



キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる (ちくま新書)まず、考えの発端となった「キュレーションの時代」をまとめる。

「大きな物語」が失われた現在、趣味志向や価値観はどんどん細分化されており、一人一人の欲している情報が違うのでマスメディアでそれに答えることは不可能である。

誰でも発信者となれる現在では、それぞれの得意分野で発信者と化し、同時に興味のある分野で「受信者」と化す。一人一人の持っている独自の趣味嗜好、価値観に基づき、情報を解釈し紹介し、自ら生成・発信する。これからそういった傾向がどんどん強まるが、果たして新しい情報世界はどうなるのか?

「キュレーションの時代」をまとめると、こうなると思う。

情報キュレーターとして抜きんでるには



もし、そうやって情報のキュレーターが増えていくとしたら、そこで抜きん出るにはどうしたらいいのか。膨大な情報の中で、自分が選んで解釈した情報を。読者の貴重な時間を奪って読んで身らためにはどうしたらよいのか。

答えは、前回の記事で商品や会社において述べたことと同じで、以下の二つとなる。

一つ目は「前回の「商品が良質(もしくは独自のもの)であること」と違うじゃん」と思うかもしれない。確かに一部違う。商品を情報に言い換えれば良いんだけど、その情報は良質ではなくても良いと言うことなんだ(もちろん良質であることに越したことはないけれど)。

扱う商品(情報)の性質



これには情報の性質が影響している。商品=モノの場合、良質であると言うことは比較的定義しやすいと思う。壊れにくかったり、アフターサービスが充実していたり、使いやすかったり、デザインが良かったり、価格が安かったり、などだ。

しかし、情報の場合、そういうわけにはいかない。情報の場合、情報の真偽が問題になると思うが、それはそこまで問題ではないと思う。なぜなら、情報源を必ず明かせば説得力は出るし、何より真偽が問題になるのはジャーナリストや新聞社だからで、キュレーターが問題にするのは解釈や文脈だからだ。

一次情報の真偽は情報源を明かすことで担保できるんだ(悪く言えば一次情報源に責任を投げることがでいる)。

情報の独自性が必要


また、当然だが一人一人によって情報の解釈は違う。同じ事実でも人によって180度解釈が違うこともあるんだ。そんな中では、一次情報の選択とその解釈、文脈付けが重要さを増す。「独自」の情報が重要になってくるんだ。

僕たちは貴重な時間を消費して、「あの人の言っていることは面白い(興味深い)」と判断するからその記事を読むんだ。

つまり、「良質の商品」が第一義ではなく、「自分の軸に沿った、自分が思う良質の情報」を発信することが重要になってくるということ(どういう発信をする人かわからないと面白いことを言う人かどうかも情報の海の中では判断しにくいでしょ?それぞれに得意分野・苦手分野があるしね)。

二つ目の「積極的にコミュニケーションすること」については、前回の記事と同じなので省く(心理学でいう単純接触効果というのもあるし)が、なぜそれが「キュレーション」=「口コミの発火点」になるのかについて書くことにする。

信頼できる情報とは



僕が人から進められたりする中で最も信頼できる情報って何かって考えると、「紹介された情報とは直接関係はないけど、そのジャンルに詳しい人からの情報」となる。

僕は、いくらカメラに詳しくてもキャノンの社員でキャノンの商品を進めてきたら話半分に聞くけど、キャノンとは何の関係もないカメラマニアにキャノンのカメラを勧められたら、結構な勢いで信用しちゃう。

これを企業広報や宣伝マンに当てはめると面白くて。自社の商品のみをSNS上で宣伝している人そのものに関しては、そこまで信頼できない(その人が紹介しているから商品も信頼できるとはならない)となる。

だから、宣伝マンにできることは、商品が良質であることが前提だとすると、「その商品のジャンルで有名なキュレーターにいかに紹介してもらうか」になると思う。

具体的には、アルファブロガーに献品して感想をブログに書いてもらったりツイートしてもらったり、ということを積極的に行うこと。それと、「アフターサービスという意味も込めて、コミュニケーションを顧客と密にとること」。

ま、書いてみて思ったけど(顧客の立場に立つという点で)当たり前のことか。だが、だからこそ個人の資質が大きく影響するだろうし難しいんだろうな。

キュレーターは広告のマスとなる?



そうやって考えていくと、「「キュレーター」が「口コミの発火点」となるならば、そして、そういった人たちが集まって会社なり何なり組織として活動したならば、それは広告の一つのハブになるのかもなあ」なんてことを思ったのでした。

参考資料
ソーシャルネットワークマーケティングについて


SNSを活用した「ソーシャルネットワークマーケティング」成功の秘策
今後5年間はインターネットマーケティングの主流はソーシャルネットワークマーケティング
Twitterの成功事例(その2),ワイン売上が大幅アップ
ソーシャルネットワーク上でマーケッターにとって一番大事なことはエンゲージメント
なぜソーシャルメディア戦略が求められるのか

エンゲージメントについて


“きずなを結ぶ”新たな手法「エンゲージメント」 
エンゲージメント、エンゲージメント・マーケティングとは何か?
ユーザーの「愛着」を深める、顧客エンゲージメント

その他


グルーポン2.0
単純接触効果(wikipedia)
アパマンショプのCMコンテスト

関連書籍



  1. 2012/09/25(火) 21:22:13|
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キュレーターって口コミの発火点になるかも?(1)

キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる (ちくま新書)全然、全く、マーケティングとは関係の無い部外者である僕ですが、またまた情報収集して考えたことを書き散らかしますよ。

キュレーションの時代を読んでから2週間ほど、他の記事や本など読んだり、今までの知識を踏まえて改めて考えてみた。で、思ったのは、「キュレーション」ってのは「口コミの発火点」になりうるということ。



この考えの説明の前に「ソーシャルネットワークマーケティング」と「エンゲージメント」についての説明をする。

ソーシャルネットワークマーケティング



ツイッターやフェイスブックなど大きなSNSの登場でソーシャルグラフの活用、ソーシャルネットワークマーケティングがどうだって記事を見かける。そこで言われている「ソーシャルネットワークマーケティング」の特徴は、「口コミの力を最大限引き出せる」ことだとされていることが多い。

また、この「ソーシャルネットワークマーケティング」を成功させるために必要なのは、「顧客とのエンゲージメント」だとされている。

エンゲージメントとは



この「エンゲージメント」という言葉。昨今マーケティング分野でよく使われている言葉みたいだけど、厳密な定義はまだないようだ。自分で検索した範囲だと、平たく言えば「顧客と企業(製品)との感情的なつながり」のことだといえそうだ。

例えば、友人に勧められて偶然買った商品があったとして、その商品はかゆいところに手が届くしアフターサービスもしっかりしているしで、非常に満足した。その後、友人が似たような商品を探していることを知った時、あなたはその商品を(もしくはその商品を販売しているメーカーの商品を)勧めたいと思わないだろうか。または、他の(しかし以前買った商品と同じジャンル(家電など)の商品)が欲しくなった時、その商品を販売しているメーカーの商品を欲しいと思わないだろうか。

こういった経験を誰しも持っていると思う。

この行動は客観的には合理的ではないが、個人としては(「自分が満足したならば他の人満足する可能性が高い」「一つの商品がよければ他の商品も良い可能性が高い」と思うから、という点で)合理的だ。

この様に消費者が、ある一定の商品(または販売元、メーカー)に対して、信頼感を持ち、「その商品(販売元、メーカー)だから」という理由で購買行動を行う。こういった商品や販売元、メーカーと消費者の関係を「エンゲージメント」というのだ。

SNSでエンゲージメントをどう築くか



それで、この「エンゲージメントをどう構築するのか」ということがマーケティング業界の重要事項となっているみたいで、そのためのツールとしてSNSが使われているようなんだ(というか、SNSの台頭で話題になっているっぽいんだけど)。

文脈としては、「ソーシャルネットワークマーケティングを行う上で、重要なことは企業が顧客とエンゲージメントを築くことである」って感じで使われることが多いみたい。

このエンゲージメント構築において重要なことは、「商品が良質(もしくは独自のもの)であること」「顧客とのコミュニケーションによる関係性強化」(商品、もしくはメーカーを中心としたコミュニティー構築など)の二つで、さらに、「エンゲージメントされた顧客に宣伝活動(口コミや自主制作のCMなど)参加してもらう」ことで、マーケティングの費用を「安上がり」にかつ「効果的」に行うことが出来るというものが「ソーシャルネットワークマーケティング」だという。

米国では結構な企業が行っているようだし、日本でもアパマンショップが学生の自主制作CMコンテストを行ったりしている(これはyoutubeなどのサービスを使っていないので厳密には違うだろうが、「消費者に宣伝に参加してもらう」という意味では近いと思う)。

また、グルーポン型サービスでは、「お店と消費者との間にエンゲージメントを築くようなクーポンサービスが必要である」という論もあった。

ファンと直接コミュニケート=ソーシャルネットワークマーケティング



少しとっ散らかってしまったが、まとめると「我が社のファン(エンゲージメントされた顧客)を増やすためにSNSを使って積極的に顧客とコミュニケートしていこう」というものが、「ソーシャルネットワークマーケティング」であるということだ。

この「我が社」というのが「自分」もしくは「特定メディア」になるということが「キュレーター=口コミの発火点」の趣旨なんだけど、長くなったのでそれはまた後日。

参考資料
ソーシャルネットワークマーケティングについて


SNSを活用した「ソーシャルネットワークマーケティング」成功の秘策
今後5年間はインターネットマーケティングの主流はソーシャルネットワークマーケティング
Twitterの成功事例(その2),ワイン売上が大幅アップ
ソーシャルネットワーク上でマーケッターにとって一番大事なことはエンゲージメント
なぜソーシャルメディア戦略が求められるのか

エンゲージメントについて


“きずなを結ぶ”新たな手法「エンゲージメント」 
エンゲージメント、エンゲージメント・マーケティングとは何か?
ユーザーの「愛着」を深める、顧客エンゲージメント

その他


グルーポン2.0
単純接触効果(wikipedia)
アパマンショプのCMコンテスト

関連書籍




  1. 2012/09/24(月) 10:38:45|
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ストレングスファインダーをやってみた

さあ、才能(じぶん)に目覚めよう―あなたの5つの強みを見出し、活かす昨日の記事で、「さあ才能(じぶん)に目覚めよう」の読書感想を書いたけど、この本の目玉「ストレングスファインダー」をやってみた。で、結果はというと…。







以上のようになりました。

「最上志向」以外は結構納得できたかなー。「収集欲」「学習欲」は、知ることが好きだから本も読むし(積ん読しちゃう)ネットも良くするからわかるし(ツイッター、RSS万歳)。

「内省」は知ったことを元に考えるのが好きだから納得(数打ちゃ当たる的なところがある。大枠を決めてから精緻化する、みたいな)。

「未来志向」は、考えることが、大抵、「こうなったら面白いな」とか「こうしたら良いのに」とかだし(行動に移すことを選ぶのが大変だし、力不足を日々感じる…泣)。

この4つは、自分の思考をそのまま表していると思えるのでかなり納得できた。でも、最後の「最上志向」これは、あんまり分からないんだけど。判断基準が「自分にとって面白い(≒新しいかどうか)」ってとこに偏っているから、それが表れているって考えればいいのかな。

「優秀が基準で一番を目指す志向」みたいなこと書いてあるけど、「一番」には別にこだわらないしなあ。「他とは違うこと」とか「他より良いこと」にはこだわるけど…うーん、ま、100%信じているわけでもないしな。

こんなもんか。

大体、自分の感覚と合っていたし、この結果を参考にして、これらの資質をもっと伸ばすように、好奇心と思考の追及をしていこうと思う。
  1. 2012/09/24(月) 10:38:10|
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東京都青少年健全育成条例(≒マンガ規制)に関する議論について

連続ツイートしたけど、何やら長くなったからブログにもアップしとく。

石原都知事が酷いのは置いておいたとしても、マンガ規制に関する議論はなんかこうすっきりしないんだよな
と思って書きました。(番号は省略)


東京都青少年健全育成条例(以下、マンガ規制)に関して連続ツイートします。
この条例は、賛否両論あるけど、どうも論点が混ざっている気がする。この条例改正は「青少年のさらなる健全な育成により犯罪を減らすこと」が目的であり、そのための手段として「青少年が触れるに相応しくない(と都が考える)マンガやアニメのゾーニングを現状より厳格化しよう」というものだ(と僕は理解している)。

都条例の論点3つ



ここでの論点は、

  1. 言葉の定義=「青少年の健全な育成」とは何か。

  2. 目的達成の方法が適しているか=マンガのゾーニングは犯罪減少に効果があるか。

  3. 方法が他の権利を脅かさないか=表現の自由を侵害しないか。


の3つになると思う。

で、大体の人が3の表現の自由について議論しているように見える。ここで問題なのが、都条例においてこの3つ目の論点は付属的なものに過ぎず、本来は1と2についての論点こそ目的達成のために必要なことだということ。

つまり、条例の作成者側からすれば3の論点(表現の自由の侵害)は瑣末なこと(「うわっ、重箱の隅つついてきたよ」って感じかも)に過ぎないと思うんだよね。だって、減らしたいのは犯罪なんだし。

と、いうことは現在の規制反対派(この表現もまずいか)が批判する表現が曖昧だとかいうのは、議論ではあまり効果がなくて、「その目的は正しいのか?(1の論点)」「それで目的を達成できるのか?(=2の論点)」という批判の方が効果があると思うんだよね。

目的と方法を取り違えるな



「光の道」議論で方法論についていくら批判したところで孫さんが止まらないように、方法論の議論は決定を覆すには至らないんじゃなかろうか、と思うんだ。(これだったら実現可能性(=方法論)についてではなく、そもそも本当に必要なのかをオープンに議論すべき。本当に必要なら方法は模索すれば良い訳だし、本当に必要ないという結論になったら止めるだろう)

議論の前提が違うから噛み合わないのであって、1.2の議論をまずオープンにして、「その目的が必要でマンガ・アニメのゾーニング厳格化が方法として適している」という結論が出てから3の議論(=表現の自由の侵害)を始めないと単なる感情論に陥る危険が高いということ。

現状は3の論点ばかりが強調されていて、石原も言っていたように「目的が正しいんだから良いのだ」って言い返されるの繰り返しになっている。何が言いたいのかというと都も反対派もちゃんとやり方を考えましょうねってことだ。

もっとオープンな議論を



都はもっと根拠を示して説明したり根回したりさらには議論を密室でなくオープンにすべきだったし、反対派は目的達成のための方法をもっと考えるべきだった。ちなみに僕は反対派だけど、一部の人を除いて都も反対派も賛成派も感情的に過ぎると思っている。

条例なんて全員が強制されることなんだからちゃんと全体最適を考えないといけないだろうよ・・・とか言う僕、大阪住民 爆(23年間東京で育っているので。今は関係なくてもつい・・・)。

都条例に関する本


  1. 2012/09/24(月) 10:35:37|
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