本屋好きの日常

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インターネットとSNSの普及で訪れるのはゆるい未来型ムラ社会かも?

ツイッター、フェイスブック、ミクシ、アメブロなどなどなどSNSの普及がなされて久しいが、SNSがあるのが当たり前の世界になるとどうなるのか、ざっくり考えてみた(実は書店や出版業界と絡めて以前書いたこんなエントリがあったり、似たようなことを言っているこんなエントリもあるのですが、改めてまとめてみることにしました)(あと、ここでは基本的に日本のことしか扱いません。他の社会は知らないので)。

では、行ってみよ~。

ざっくり歴史を見てみる(近代以前から近代)


まず、歴史を見てみると、近代以前(江戸時代とします)は封建制の社会だった。この時代は幕府があって、その下に殿様)、その下に一般市民がいる町や村があって小さな共同体を運営していた。ムラ社会の維持が共同体全員の生死を決していた時代である。

そこでは皆が助け合って暮らしていた。助け合わなければ生きていけなかった。だからムラの掟を破ったものは厳しく罰せられた(村八分=共同体から強制離脱)。現代を知っている我々からしたら息苦しそうな社会だが、共同体を維持できるかどうかが生死に直結しているのである。それも仕方ないと言える。

ところが、近代に入り、豊かになってくると個人でも生きていけるようになる。「近代的自我の芽生え」とかそんな大層なことは言わないけれども、大雑把に言えば個人が自分ひとりのことを考える余裕が出来てきたということである。

ざっくり歴史を見てみる(近代からバブル崩壊以前)


それで、明治維新から戦争期に急速に社会が発展して個人主義が台頭するかと思いきや、その前に軍国主義(全体主義)の時代が訪れ第二次大戦でそれが強制的に終わる。戦後、GHQの統制社会の中、憲法が新しく書き換えられ、GHQ退去後も米国に対するゆるやかな従属は続く。

そんな中、軍備という大きなファクターを米国に丸投げできた日本は、経済成長まっしぐら。戦前まで残っていたムラ社会的社会主義も社会全体としては徐々に解体されていく。そのお陰(せい?)で「恋愛結婚」や「自分探し」などといった言葉が生まれ、急激な社会変化により大人世代と子ども世代の感覚の差が浮き彫りになり、「新人類」という言葉も生まれる。そうやって「社会(≒みんな)の為に」より「自分のために」が重視されるようになる。

近代から現代に至るにつれ、ムラ社会は崩壊し、個人主義が台頭するようになってくる…と思いきや、日本では村が解体されたとはいえ、終身雇用制の大会社がムラ社会と入れ替わっただけに過ぎなかったりするため、バブル崩壊以前は未だに「空気を読むことが重視される社会」、「和を尊ぶ社会」、「出る杭は打たれる社会」というムラ社会文化は残っていた。

ざっくり歴史を見てみる(バブル崩壊後~現代)


終身雇用制度を持つ大会社によって存続していたムラ社会であるが、バブル崩壊によって大会社もついに終身雇用制度を維持できなくなり、大会社ムラの大前提である終身雇用制度は崩壊する。崩壊前は大会社ムラに入ることは多少の息苦しさはあっても十分な利益の見込める人生戦略であり、社会の大多数はそのことに同意していた。

終身雇用制度の崩壊(実際は一部続いているが、少なくともそう思われた)により多くの人間が大会社ムラへの不審を抱くようになる。だが、そんな不審をよそにして社会制度は未だに大会社ムラを続けるための制度のままであり、世間の空気もやはり大会社ムラ賛美のままである。

個人の台頭を許さない閉鎖的ムラ社会と、近代化・現代化によって芽生えた「個人主義」がぶつかりあい、通奏低音のように流れ続ける排他的な「空気」のために、個人主義は敗北を喫している(≒自殺者の増加)。

インターネットによる個人主義の台頭


ところが、個人主義はインターネットを見方にして花開いた。「IT革命」ではそれまでの日本的慣習への志向ではなく個人の成功を夢見ることができた。しかし、それも前時代的なシステムを抱える日本では長く続かず、堀江貴文氏の逮捕によって幕を閉じる。その後に待っていたのは「失われた20年」と増え続ける自殺者である。結局、日本人はムラ社会的共同体である日本を変えられないまま現状の日本に至ってしまった。

今、日本にあるのは縮小していく(その過程で大会社ムラから正社員ムラに意識が交代したと思う)ムラ社会とそこからはじき出された(もしくは飛び出した)個人である。

中途半端な個人主義


そんな中、放りだされた個人は一人だけで生きていけるわけもなく、かといって閉鎖的な大会社ムラ社会に戻ろうとも思えないし戻ろうにも戻るのは難しい。そんな人々にとって日本社会は生きにくかった。とは言え、こういう状況でもインターネットを駆使できる人はまだ2chやブログなどで「つながり」を感じることができるし、技術があれば独立することもできたかもしれない。

それでも、大会社ムラ社会の成員(正社員)でないものにとって生きづらいことは確かであり、それは仕事云々もそうかもしれないが、それ以前に正社員でないものに対する世間の目が、自分の中の常識が彼を追い詰めるせいでもある。正社員ムラに属していない人は、特殊な人であり、いかがわしい人か特別優秀な人でしかないのだ。

だから、組織に属するよりも個人でいたい人、組織に属してもいいが堅苦しいのはダメな人などにとって日本社会はとても生きづらかった。特に合理性もなく慣習で無駄な作業が多く発生して、それに従わなければいけない理不尽に耐えられない者にとっては、この社会は生きづらかったのである。

SNSとスマートフォンの普及


このような生きづらい日本社会において、ついにSNSが登場する。ミクシに始まり、ツイッター、フェイスブック。特に爆発的な広がりを見せたツイッターは140字という制限が効いているのかそれとも実名を出す人が多いためか、オープンでありながら2chの一部のように吹き溜まり化せずに、人と人の「つながり」を援助してくれる格好の場となった。

フェイスブックはツイッターに比べてクローズドであり、その分、プライベートな話題にも踏み込めたり、読者との距離をより近づけることができるSNSだ。ミクシは最近迷走しているが、日本的クローズドな文化を持った日記文学の跋扈するSNSだ(僕のTL上では結構ミクシページを作っている人が多いことからも、やはり日本人のマインドに合っているのだろう)。

今までは、大会社ムラ、正社員ムラに入り身分が保障されないと手に入れづらかった人脈が以前よりも飛躍的に手に入れやすくなったのだ。そうするとどうなるか。大会社ムラ、正社員ムラから飛び出した(あぶれた)人たちが、それぞれで共同体を作り始めるのだ。

それはそうだ。一人よりも誰かとのつながりがなければ人は生きて行くことは難しい。人間は社会的動物なのだ。ただ、そのつながりを社会通念上においても制度上においてもよほどの能力が無い限り選べなかったことが、日本社会が不幸な自殺者を多く生み出している原因なのだ。

しかも、大会社ムラ、正社員ムラから飛び出した人が変えるべき古き良き村社会は崩壊しているのだ。そりゃ自殺者も増えるってなもんだ。

そして出現し始めた「ゆるい未来型ムラ社会」


SNSはそんな彼らの福音になり得る可能性を秘めており、徐々に日本社会は世界は変わり始めた。ツイッターやフェイスブックを利用したビジネスが生まれ、僕のTLではフリーライターが活発に活動しているように見える。

シェアハウスなどシェアの文化が流行り始めた。一人では生きにくくても似たような人間が集まれば生きやすくなるってなものなのだ。以前よりもSNSを利用している人にとっては過ごしやすい社会になってきたことは確かだろう。

これは言い換えると、大会社ムラ、正社員ムラという大きなムラだけでなく生まれては消えていく小さなムラが乱立しているということでもある。もちろん共同体である以上どんな小さなムラでもルールが自然と生まれ、そうするとそれに反発する者にとっては過ごしづらい場所になっていってしまうだろう。

ところが、ここが大事なのだが、このSNS時代においては、いつでもこの小さなムラ社会から抜け出せるし、いつでも新たなムラ社会に参加できるのである。その上、副業が禁止だった大会社ムラ、正社員ムラと比べ、この小さなムラ社会は何村でも駆け持ちができるのだ。

そりゃ、いろんな場所に顔出しては暴れ回ってたら悪い評判が立って、どこにも居れなくなるというのは有り得ることだけれど、それもインターネットに国境が無いことを考えると自分の語学能力さえ高めれば、自分のことを全く知らないムラはどこかに必ずあるだろう(匿名で活動していればいくらでも可能である(もしかしたらIP解析されると厳しいかも))。

つまり、現在進行中の現実の先には、参加・離脱が比較的自由で小さなムラ社会が乱立する社会となるだろうと考えられる。これが僕の考える「ゆるい未来型ムラ社会」である。このムラ社会では今までよりも簡単に仲間を見つけられるし、そこから生きていくためのビジネスに発展させることも容易だ。しかも、嫌になったら飛び出せば良いのである。そうして新しいムラを見つければ良いのである。

こんな社会はSNS以前の大会社ムラ、正社員ムラの成員でなければ白眼視されるか特別視されるかされた社会よりいくらかましだと思えないだろうか。SNSは個人が受発信するツールであるという特質上、組織に属す必要が必ずしもない(組織の名前を使って受発信することも大いにある)という時点で僕にはましな社会だと思える。

東日本大震災で見えた懸念点と希望


懸念なのは、東日本大震災直後の自粛ブームや一部の過剰な反原発派のように感情的に同質性を(しかも「善意」による)求める声がSNS上にも一定数以上いると言うことだ。これが広まり過ぎると現実の日本社会と同じような「出る杭を打つ」「右ならえ右」の文化となってしまう。

SNS上でも例えばミクシでは「今までいたムラ(コミュニティ)の人に悪いから」とかツイッター上では「フォローされたからリフォローしないと失礼だ」とか「リプを返さないなんてなんて失礼なんだ」とか「段階的に脱原発とか言っている時点で即原発推進派だ、つまり敵だ」とか。そんなことになりかねない(信じられないことに一部そうなっているみたい)。

違うでしょう。SNS(特にツイッター)はもちろんパブリックな場ではあるので、言ってはいけないことというのはあるだろうけど、人間関係に置いてはもっとドライでゆるいものでしょう。まあ何にせよざっくり東日本大震災で分かったことはSNSは「地獄に通じる善意」も「天国に続く善意」も「悪意」も全てを広める大きな力秘めているということだろう。

唯一、東日本大震災によって見えた希望は、SNSを使っていないような層にも「このままではマズイ!」という気持ちが共有されたことだ。相変わらず大会社信仰はあるようだが少しずつ学生起業をしたり、大会社就職以外に進もうとする人が増えてきたように見える(萎縮して何もできない人も増えたとは思うが)。

この情勢が続き、「大会社ムラ、正社員ムラ」信仰が少なくなっていけば、もっと生きやすくなるだろう。そうやって「大会社ムラ、正社員ムラ」という大きなムラが無くなった後に残った乱立する小さなムラ社会を自由に行き来しながら世界を楽しんで生活できる人が増えて行くのだろうと思うのだ。

その先に待っているのは「ゆるい未来型ムラ社会」か、それとも弱肉強食の世界(西欧社会の様な競争重視の実力社会ということ)か。僕は前者が来ることを願っているし、そうなるだろうと思っている。きっと鍵はベーシックインカムと各SNSの文化デザインになると思うんだけど、それは勉強していないのでまた今度。

うーん、しっかり伝わるように書けているか心配ですが、僕は今回と前回で書いたように、「ゆるい未来型ムラ社会」は個人が生きやすい社会だと思うし、僕にはそれがまともな社会だと思えるので、未来に希望を持って書きました。実際問題どうなるかは誰にもわからない。予定は未定。また来週。

なんじゃそりゃ…www

参考資料


マスコミは、もはや政治を語れない 徹底検証:「民主党政権」で勃興する「ネット論壇」 (現代プレミアブック)
キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる (ちくま新書)
カーニヴァル化する社会 (講談社現代新書)
そこまで言うか!
明治 ?近代的自我の目ざめ
失われた20年 wikipedia
日本経済の「失われた20年」 - 池田信夫
幸福途上国ニッポン 新しい国に生まれかわるための提言
などなどなど
今まで読んできた全て
ってことで、これくらいで勘弁して下さい
もう覚えていないのがほとんどなんです 汗
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  1. 2012/09/25(火) 21:27:13|
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